昭和レトロ探訪 山の上ホテル



駿河台1-1に聳え立つ、クラシックホテルの名門、山の上ホテル。



(写真は楽天トラベルより)



「いつか泊まりたいがまだ早い」リストの常に上位にありましたが、なかなか敷居が高くて(値段も高くて)億劫でありました。


2024年2月中旬より長期休業に入る、というニュースを見て、慌てて予約しました。


35部屋しかない小さなホテル、ニュースの後だからかどのサイトも予約で一杯でしたが、粘った結果、見慣れない旅行サイト経由で早割半額くらいのが見つかりました。謎です。


たった一泊だけですが、心に刻むべく、ホテル時間を味わって参ります!



***



一月の連休前営業が余りにも忙しく、チェックイン時刻になっても自宅で寝落ちするという自堕落さ。


ふーんだ、丸の内線で一本直通だもんね、とタカを括っていたバチが当たりました。


お茶の水駅を背にし、明大通りを南下して右に折れると、緩やかな坂に差し掛かります。


あーあ、日が暮れて真っ暗ですね。。。夜8時回っちゃったよ。





坂を上がると、文豪が愛したホテルが見えてきました!



この坂はコロナ禍の散歩でも通った事がなかった、全くの初見です。坂道の上にあるレトロホテル、最高なアプローチです。


都心に突然現れる時代錯誤なビルヂングは街並みから少し浮いていて、作り物のように見えます。ハリウッドのオープンセットみたいでもありました。




玄関の正月の飾りを抜けます。



正面には階段ホールがあります。これが山の上ホテルの螺旋階段か、、。確かにアールデコ全開です。




4階辺りから階段を見下ろすとこんな感じになっています。美しい。(後で挿入しました)




フロントにてささっとチェックイン。巨大な一枚板の大理石のカウンター。どこもかしこも大理石。許されるなら剥がして持って帰りたい。





フロントのスタッフさんに「この時間だけど晩御飯を頂きたい」旨を伝えます。


七軒のレストランのうち、コーヒーハウスになら空席があるとの事。ラストオーダーは9時です、との回答で、既に時計は8時45分に差し掛かっています。急げ!!



コーヒーハウスは地下一階。改装の手がかなり入っていて、レトロさは微塵も感じません。

二子玉川の高島屋にありそうな高級喫茶コーナーという感じの、、、。





長期閉館のニュースの後はホテルどのレストラン、漏れなく天ぷらもフレンチも毎日予約で一杯なんだそうです。


このカフェにしても開店前から整理券を配っているんだそうで、、最後だけ異常に混むのってどうなの、、と思いきや、漏れなく僕もその1人なんだけどさ。



僕がいつかお店閉める時は、閉店した後に「◯月末を持って閉店しました」って張り紙貼ろうと思います。

廃業を決断したのにわんさか押し寄せ、儲かり、惜しまれ、褒め称えられたらうっかり撤回しちゃいそうですもんね。僕ならもう一回だけやらせて、とか泣いて語ってそう(笑)





迷った挙句に先ずはビールとコンソメスープを。


ゼラチン質を強く感じる、思ったよりワイルドなコンソメスープはパンチのある濃厚な味でした。浮き身はインゲン豆。


3杯はいけそう!



しかし、グラスビール2杯で3,000円っていうのは高い気がするな。ホテル料金とはいえ。


続いては小海老のカレー。僕は洋食店なら迷わずカレーを選択します。オムライスもパスタもグラタンもドリアも食べたいけど、毎度帰宅後、なんでカレーを頼まなかったんだろと後悔します。なので迷うくらいなら頭からカレーを選ぶ事に決めています。


しかも10月末以来カレー断ちしていたので、感慨深いです。




うーん、こちらは僕の好みじゃないかな、、。ベースは甘口、かなりチャツネが前に出た感じのフルーティと評されるような系統だと思います。そこにスパイスがかなり効いている。


これは好きな方が沢山いらっしゃると思うので否定はしませんが、、。僕にはあんまりでした。


因みに僕が好きな系統は、小麦粉とスパイスをラードでしっかり炒めフォンドヴォードバドバの、濃厚な欧風カレーが好みなのです。エレガント系なら資生堂パーラー、ワイルド系だと伊勢丹横のガンジーと言ったらところか。


こればかりは趣向の問題ですもんね、ゴチャゴチャすみません。


ごちそうさまでした。お会計は7,600円。


パーラーを後にして部屋に向かいます。



カウンターと同じ色目の大理石のエレベーターに乗って4階まで。





中は最新式のピカピカですよん。





廊下を降りると、赤絨毯が広がります。戦後は進駐軍が接収してたんだもんな、そのまま使ってるなんて凄いホテルですよ。




お部屋は「可愛い!」という言葉がピッタリの小さな部屋。古くて使い込まれてるのに、恐ろしく清潔に保たれてます。いや、凄いですよ。



ベッド奥のラジエーターカバーも当時そのまま。ラジエーターなんて生で見たのは都内では前田侯爵邸と朝香宮邸くらいですよ。それも今夜、この横に眠れるなんて、、。




サイドにデスクもあって、全てお揃いの桜の木の家具なんだそう。



各所に赤い薔薇の一輪挿しが。僕もきちんと店に活けないとです。



お風呂も大きくて、ヨーロッパに来たみたいですよ。こんな大きいバスタブ、テンション上がるなぁ。




蛇口もですね、使い込まれて角が丸くなってるのに、パッキンに一分の緩みもなく、カルシウムも垢も着いてない。これは鬼メンテナンスですよ。驚きです。




幾らかで売ってほしいくらい(そればっか)



お部屋の中は細々とした優しさと清潔感に溢れています。



そして、何気なくサイドボードの上に置いてある、ミネラルウォーターを載せた銀のトレー。


フチのところはシンプルな少しのモールディングだけ。直線的なデザイン。あー、理想だなこりゃ。


僕がずっとローマの市で探したけど見つからず、春にウィーンに探しに行く予定の、正にベストサイズのものが部屋に、それも2枚も置いてあるじゃないか!



A4サイズくらいで、ホットワインやら乗せるのにちょうど良いんですよね。あー、良いな。各部屋に2枚と言う事は、、ホテル中に何枚あるんだろうか。


念のためにサイズだけ測っておこうっと。ハアハア。



と、ふと気がついた。Googleレンズでこのお盆を画像検索したら良いんじゃん!





部屋のトレーを測り、写真に撮り、なんやかんや調べる事1時間。


某サイトで欲しかったトレーがあっさり2枚も見つかりました。今までの苦労はなんだったんだ、と。


クリストフルのプレーテッド。サイズもベストだけど、しっかり磨かないとね。 


こちらは70年くらい前のノーブランド。


これでまたお茶とかホットワインを素敵に出せるようになりますよ。やったね。


お値段は2枚合わせても宿泊代にいかないくらい。


ああ、ホテルでインスピレーションを頂いてたお陰で、またお店に什器(ガラクタ)が増えたよ。


ホテルライフは最高っすな!



小躍りしつつ喜んでいたら小腹が空いたので、近所にお散歩に行きますか。何かつまんで帰ってこよう、っと。


静まり返ったロビーを通り過ぎます。ここで川端康成が、三島由紀夫が、池波正太郎が編集者と打ち合わせしてたのか。




文壇とかって世界には縁がないですが、そう言うものを生み出す際に舞台となった文化人のサロンには興味ありますね。


小説に登場する、文壇の集まる銀座のクラブ。おそめ、エスポワール、ラモール。今はもう全てありません。


しかし山の上ホテルは未だに営業しているんですもんね。そして、僕は夜中にそこに立っている。


そう思うと急に歴史のリアリティが増してきました。生きた歴史がそのまま残る街。素敵だなぁ。





***



生きた歴史が残る街、、大変結構なんだけどさ、祝日の夜のお茶の水って何もないんですよ。富士そばくらいしか電気ついてないの。


えー、やだな。一昨日も食べたばっかなのに。





 文句言いながらも、いつも通りに旨い。






啜りながらホテルの未来をあれこれ考えます。


本当に余計なお世話の、単なる推測なんだけど。このホテルは今のスケールのままには復元改修はまず無理なんじゃないか?と思うのです。


都心のかなり広い一等地にビル一棟。車寄せや植栽もあるなかで客室はたった35室。経済効率で言えばボランティアのレベルですよね、、。


アパホテルなんて小さな規模でも400部屋や500部屋がザラですもん。


坂を上るアプローチだとかアールデコのトンガリ塔屋なんて本当に素敵なんだけど、収益性を考えたら裾だけオリジナルを残して上はモダンな高層階、そんな予想しか出来ません。


九段会館みたいに、背中からガラス張りの高層ビルがニョキっと生える、そんな感じだろうな。嫌だけど。






***




少し散歩してからホテルに戻ろう。なんせ、チェックアウトは昼の12:00なのです。ウシシ。




にしてもこの辺りの明治大学のビル化は半端ないですよ、ハレンチなくらいですよ。


(写真は東京新聞より引用)


写真左の中央辺りにある白いのが山の上ホテルさん。これじゃ冬は流石に日当たり悪いでしょうね、、。


高度成長期辺りの駿河台はまだビルもなく、こんな景色が続いていたそうですよ。

 





晴れた日曜日の昼下がり。長閑な雰囲気の、ハイカラな高台のホテル。


大理石の階段、銀のお盆、活けられた赤いバラ。フカフカの絨毯。


仕立ての良いワンピースを着た美人のお嬢さんが闊歩する。ロビーでは見たことのある作家が難しそうな顔で打ち合わせをしている。


洋食レストランから漂う焦がしバターの匂いと、シューベルトのピアノソナタ。


そんな感じかしら。








ああ、やっぱりレトロな施設が好きです。




***



つづき。




お風呂に入り、しばし仮眠を取りましたらすっかり朝になっていました。




チェックインが夜遅くて真っ暗だったので景色をよく見ずにいたんだけど、目の前に木があるなんて知らなかった!!



僕は強度の「窓から樹木が見える部屋」フェチなんです。なんて素敵な部屋なんだ。

初夏の新緑の頃なんか最高だろうな。1月に泊まるなんて、惜しいことをしました。


気になって他の部屋を検索してみると、ベランダというか空中庭園が付いた部屋があるらしいのです。





これは素敵だ!!


ビル自体が階段状になっているので、限られたルーフトップ着きの部屋にはお庭があるようです。




これは、、。もっと早く知っていたら。


今のお店も何年かかかってルーフトップを緑化したんだけれど、かなり勉強になったはず。この目で見ておきたかった。



検索しつつ想像したりモヤモヤして過ごしていましたが、時計を見ると9時半。12時チェックアウトだならまだ2時間ほどあるんだけれど、あんまり天気がいいので自宅まで歩いて帰ることにしました。


フロント奥には知らなかった、こんな部屋がありました。なんだ、この素敵な設えは!



隅にちっこいデスクがあったりして。




んー、京都の俵屋旅館もそうだったけど、さりげなく小さな趣味の良いコーナーがあって、それぞれに時間を過ごして下さいね、というこの配慮にキュンキュンします。


豊かで、さりげなくて、時間と共にこなれた飴色に変化してる。


設計図なんかもあったりして、随所にセピア色の知性と豊かさが満ちた空間でありました。




こんな素敵な場所、いくらでも居られますね。




***



しかし、都心の一等地の一棟建て小規模ホテル。高物価の影響もあってか、僕にとっては色んなものが高すぎる印象でした。


ルームサービスの天丼が9,600円、和食弁当18,000円、、、。


僕がケチなのもあるけど、食べたくても手が出ませんでしたね。カレーが精一杯ですよ。


帝国ホテルのルームサービスを見てみたら天丼はなかったので比較は難しいけれど、なだ万のヒレかつ重が4,800円とありました。



やはり天丼、高す気がする、、。


数年先の改装後にはお金を貯めてまたチャレンジしたいと思います!どうか素敵な雰囲気のまま改装されると良いんだけど、、。


東京會舘やステーションホテル、パレスホテルみたいに新築ピカピカの、ステンレスとガラスのコンビネーションみたいになっちゃうのかね。やだな。


現状保存は流行ではないんだろうか。


そうなりゃまだ、僕には学士会館がある!!



(学士会館 公式ホームページより引用)




レトロを追い求める旅はまだまだ続きます。



お読みいただきありがとうございました。






昭和レトロ探訪「三宮のレトロ旅館」



2週間前になりますか、、新幹線で神戸に行ってまいりました。友人が関西で結成したオーケストラの初公演を聴きに、というのがその目的です。


新幹線で新大阪へ降り、在来線で灘の辺りにある目的駅に降りるつもりが、いい歳をして景色を眺めるのに熱中して三宮まで乗り過ごす失態。慌てて大阪方面へと戻り、目的地に到着(汗)


演奏はと言いますと、それはそれは素晴らしい出来栄えでした。足を運んだ甲斐があったな、こりゃ。



灘エリアから歩いて再び三宮に戻ります。ウロウロ歩いて8キロくらいかな。この途中辺りで具合が悪くなるのですが、話が暗くなるので割愛。


何やかんやを経て、三宮へと辿り着きました。




今夜のお宿は、ここから徒歩7分にある築60年の木造のお宿。


阪神淡路大震災にも耐え抜いた、ど根性木造旅館であります。




玄関はこんな感じ。どんなレトロが僕を待つのか、、というか疲れ過ぎて早く眠りたい。





女将さんであるお婆ちゃん曰く、「震災でこの辺りの建物は殆ど半壊したけど、ここと二宮神社は無事だったの。木造だから揺れたけど、免震構造みたいになったのかしら」と。


うーん、なるほど。グニャグニャ揺れて、逆に助かったのかな。丈夫な柱が入っていたのか。謎は深まります。


お部屋へ案内していただく途中に湯殿の説明です。


こちらがお風呂です、、。24時間入れますので。と笑顔で指し示す先には、



何だこりゃ!!





僕なりの想像です。


旅館の建物がロの字形をしているのですが、その中央に坪庭がありまして、その庭を潰して真ん中に橋をかけ、建て増した湯殿へ向かうようになっているのではないか、と。


更には屋根をつけている事で、何とも奇怪な雰囲気のレトロかつスペーシーな空間に仕上がっているのではないか。


坪庭好きとしては勿体無いなと思うんだけど、木造の躯体を壊して風呂を作るより庭に建てちゃった方が安上がりなのかな、と想像します。ユニークな旅館だなぁ。



お部屋は、、こちらは正直言って期待はずれ。綺麗に壁紙が貼られて清潔そのものなんだけど、せっかくレトロを求めてやって来たのに、これじゃ建売住宅の和室と変わらないじゃないか。


それもかなり低級の、、。シュン。




まあええわ、3,800円だもの。お風呂は24時間だし、部屋なんて寝るだけだもんね。







今ツバをつけている宿泊候補はまだ4軒くらいあるし、そっちに期待しよう。


築地のとこなんて、凄いんだから。中も外も、時代劇のセットみたいだもんね。






早く泊まりたいにゃ。





***





旅先でメンタルをやられるというのは本当に困ります。強めのホームシック、街の住人ではない疎外感が自分を追い詰めます。


会社帰りの関西弁のグループが横切る時に聞こえる神戸訛りの会話にさえ、寂しさを感じる始末。関西生まれなのに遂に関西弁にまで違和感を感じる。


東京にかなり染まってしまったなぁ。



メンタル問題で食欲があまりない。僕が食欲がないってのはよっぽどの事でして、風邪でもコロナ感染中でも常にバクバク食べている自分としては余計に心細くなります。


とはいえ昨日の夜から何も食べてないので、何かしら腹に入れないと。


神戸なら神戸っぽいモダンな洋食屋さんもいいな。元町まで足を伸ばして中華街へ行こくもよし、この際奮発して神戸牛?!


、、胃袋にお伺いをしてみたものの、やはり食欲はなく。


歩いていると明石焼きのお店を発見。これなら量も少しだし、ご当地グルメでもあるし。


明石焼きなんて、今まできちんと食べた事なかった。量も半端でツマミには心細く、これを食べる人は一体どういうシチュエーションでこれを選ぶんだろ。


この日の僕にはおのメニューではありましたがね。





ふうん、、味自体は卵焼きなんですね。


少しだけ小麦粉が入っているけどほぼ卵焼きの味。出汁に漬けて食べるから尚更、だし巻き卵を食べているみたいな様子。


見た目たこ焼きなのに味はだし巻き卵っていう辺りが僕を余計に混乱させる。僕はたこ焼きがレアで柔らかいようなのを想像していたんだけど。


ならば卵焼きの形をした卵焼きを食べるか、たこ焼きの形をしたたこ焼きを食べたいところ。


モヤモヤした中で、屁理屈を反芻しながら完食。ごちそうさまでした。





***





明石焼きを食べたところで、東京に帰りたくて仕方がない。こんな歳でホームシックになるなんて意味が分からないんだけど、とにかく宿に戻って寝よう。眠って朝には東京へ戻ろうと。


お風呂を済ませ、床に入ります。モヤモヤ考えるのは一旦やめてただ眠ろう。


徹夜明けなので良く眠れそうです。





***





朝方全身が痒くて目が覚めると、、







全身ダニに刺されとる!




赤く腫れたところは形容し難い痒さで、その数20箇所以上。



ひゃー。早く帰りたいよぉ。




前回の荻窪、建物はボロかったけど布団は最上級に清潔でしたが、全ての宿がそうとは限らない、、。レトロ宿探訪、安くて楽しいだけじゃない。思わぬ刺客に出会いました。


うむむ。それでも諦めないけどね。



朝8時に宿をチェックアウトし、ボリボリ掻きながら歩いて新神戸の駅を目指しました。



東京に戻り自宅で20時間ほど眠りまして、その後3日もお休みを頂きまして、お店も復活となりました。


神戸のことを思い出すと胸がチクっと痛みますが、悪いのは自分とダニなんですよ。


メンタル弱ってる時が旅先だと、その街を嫌いになる事がままありますが、そんなの良くないですよ。



嫌いにならないよう、またの機会にお邪魔してリベンジしよう。



またそのうちに。神戸。









昭和レトロ探訪「荻窪の某旅館」

 



見出しにタイトルを書いてしまうと検索に引っ掛かり、妙なところにリンクを貼られてしまいますのでこのようなタイトルに。


以前も日本橋T屋百貨店の特別食堂のお給仕の方が「デパガの局の局のようなスタッフ」などと書いたら(ラジオで松任谷由美さんが言ってたんだけど)思い切り食べログに貼られ、しばらくモヤモヤしてしまいました。


勝手に貼らないでよね。



そんな訳で今日の旅館のタイトルはこちら!




西の郊外にあるからそうなんだそうです。元々は昭和の初年に本郷で宿をなさっていて、関東大震災を期に郊外だったこの地に移られた、とネットにあります。





旅館と同じ土地の中、右側にあるモダンな建物は同名のロッジング、という名で高級下宿をなさっているそうです。



ラストエンペラーの弟である愛新覚羅溥傑さんも泊まられた、というこの場所。


和田堀の辺りに奥様の実家の嵯峨侯爵邸があったので、そこに近いからお使いになったんでしょうか。嫁入り前の彼女を想いつつ、夜を過ごすモダンな旅館、、、素敵!





早速入ってみましょう。



堂々たる門構え!


(画像は明日差し替えます)




まるで、名門の料亭のようでもあります。


門を入りますと、小さなお庭に灯籠があります。2階の屋根まで届く柳の大木はすごいですよ。




玄関を入ると正面には、この時代の建物に特徴的な、赤絨毯を敷いた階段があります。


これこれ。これですよ。京都や浅草にある老舗のすき焼き屋なんかもこの手なんですよね。大好物です。



晴れの日のお出かけ先の宿、という感じがして堪りません。




階段手前の右手には応接セットと、マントルピースがあります。中央にはガスストーブがセットされていて、なるほど機能的だこと。




柔らかな物腰のご夫婦がご対応下さいまして、簡単な説明を受けます。夜11:00〜朝7:00までは外出できないとの事。


うん、存じております。その為に文庫本を二冊持ってきましたよ。


僕のお部屋は赤階段上がってすぐの右のお部屋です。菊の間というらしい。


あー、凄いですよ。良い感じにコクが出ております。只事ではない雰囲気。



部屋に入る前に堪らず全館をお散歩してみました。

どこもかしこも赤絨毯と土壁とこなれた木製建具がデザインされていて、迷路のようです。







気の弱い子供名だったらこんなところで放置されたら間違いなく泣き出しますね。とか言いつつ2周もしてしまった。


油を売っていたら日が暮れてしまうので、さっさと部屋に入って整えましょう。まだこれから部屋をチェックしたり風呂に入ったりジュース飲んだり忙しいんだから。



僕の部屋はお庭に面したささやかな和室でございます。懐かしい畳の匂いのする、とても清潔なお部屋です。



あー、やっぱり僕はレトロと言えばホテルよりも旅館派なんですよ。レトロなホテル、比較的古いと不衛生だったりして何となく腹が立つんですよ。その点レトロ旅館は相当古くても許せちゃう(個人的感想)


畳の匂いとか、木の匂いの感じなんかも好きなんだろうな。




窓から目をやると、小さな中庭があります。 は



浴衣に着替え、館内をまたウロウロとします。明るいうちにしっかり元を取らないといけません。



ひゃー、立派なガラス扉。素敵だなぁ。庭屋一如が合言葉の僕としては、叶うならばこういう中庭を囲んだ木造建築に一度は暮らしてみたい。




居間の炬燵に入って、この窓から長雨を眺めつむ晩御飯の絹さやのスジを取るような、そういう穏やかな暮らしがしたい。


どこかにないですかね、小さくて良いから木造の坪庭が付いた賃貸ボロ家、、、。







さて、廊下を過ぎてお風呂に向かいます。


 お風呂は、、と。4人くらいは入れそうな大きなバスタブが、タイル張りの多分当時モノの浴室内に据え置かれています。きっとバスタブだけ新しくなさったんだろうな。

早速、1時間くらい入らせて頂きました。そして何と、一番風呂でした。





風呂上がりには、廊下の脇に瓶ジュースの自販機がありました!!

しかもサンキストだって、なんてレアなんだろう。



お金を入れると縦長のガラス扉が開放されて、自分で取り出すんですよ。若い子は知らんだろうけど。





これをですね、さっきの縁側の脇でゴクゴクとやる。最高だろ。





(´-`).。oO(京都でも同じような事したな)



部屋に戻り、真新しいシーツに身を沈める。天井は複雑に折り上げた形になっていて、木の香りがします。




ここは本当に2023年の現代の、それも地下鉄で180円の場所なんだろうか、、。信じられない。



一泊7,500円という事はですよ、4泊したとしても3万円。例えばだけど、毎月曜日に部屋を抑えて頂いてもだいたい月3万円で済む。


県外に別荘を一軒借りる家賃よりも到底安いし、そもそも交通費からして全然違う。

ちょっと節約すればそんな事できちゃうかも、、と頭の中で算盤を弾く自分がいます。


ディズニーランドがこの世で一番好きな人がいて、とにかくパークハイアットで過ごす事が好きな人もいて、そんな中で僕はボロ旅館にしか感じない(特殊な)性癖だった。たまたま安上がりだけど、共感する人も少なくて、、ただそれだけの事。


もし僕が、ディズニーのコアなファンのように年間パスポートを買ったとして、誰に迷惑がかかろうか、、?



そして妄想はまだ続くのですがね、例えば誰かにこう訊かれたとする。


「シンスケ、休みどう過ごしてるの?」



「うん、、月曜日は荻窪の旅館をね、一部屋年間で抑えてるんだ。ゆっくりしたくてね」




キャー!!  カッコいい!


惚れるっ!若旦那っ!



σ(^_^;)



、、、まあ、そんな事ないと思うけど、実際には宿の方にとってもご迷惑だろうし、流石に僕も全部の月曜日は来られないだろうけれど、、そんな夢を見るだけでも楽しいのです。



えー、でも一応聞いてみようかなぁ、、。





さてと、お食事がてら西荻の辺りまで散歩してきます。荻窪の閑静なエリアを往復5キロ、何とも贅沢なコースです。


夜の看板は昼に増して怪しげであります。









昭和レトロ探訪 飯倉片町キャンティ本店


ああ、ついに来てしまいました。まだ早いと思いつつも、じゃいつ行くの?というスパイラル。


もしも突然、交通事故に巻き込まれたとする。運悪く仮死状態の時にあのキャンティのテーブルクロスと、バジリコのパスタをふと思い出したら悔しくないか?といつもの自問自答か


そこまで言うならさっさと行けばいいじゃん、と思われるだろうけど、それでも中々行けないんです。


いつかその日が来て、どうせならきちんとした方に連れてもらって伺いたい。きっとどこの店でもそうだろうけれど、きちんとご紹介頂けた場合はそれなりにキチンと対応をして下さる。

通りすがりの素性の分からない僕のような、しかも見た目の怪しいのが飛び込みで来られたら。どんなに空いていようが間違っても「一番奥の広くてお席にどうぞ!」とはならない。


それがこの世の の現実なのです。


そんな事ウダウダ言ってるから行くのが遅くなるんです。今回は重い腰を上げて、友人の下村一喜さんにお連れ頂く事に決めていました。前にポートレートを撮っていただいた時のお礼の気持ちも込めまして。



その時の写真ですが、、。かなり痩せてますね。何か文句ありますか(画素数落とさないとサーバーに掲載できませんでした)




***



本日お伺いしたのは、麻布は飯倉にあるキャンティ本店。




ご存知の方も多いかもですが、1960年に創業なさり、日本中、世界中のクリエイターが集まる文化サロンのような場所でありました。他の伝説の店とは一線を画し、政財界よりもクリエイターの名前が多く上がるのがこのお店の特筆すべき点だと僕は思っております。


初代オーナーである川添浩史は明治の元勲後藤象二郎伯爵の孫として大正2年に生まれる。


洋行に出るも太平洋戦争を機に帰国。戦後は高松宮の国際関係秘書になり、その後同じくヨーロッパで彫刻家を目指した梶子夫人と共に「サロン的な、それも西洋のおでん屋みたいな店をやりたいな」と始めたのがこのキャンティ、という訳です。


レストランには、フランクシナトラ、イヴモンタンにシャーリーマクレーン、ピエールカルダンやサンローラン、岡本太郎に丹下健三、大江健三郎に三島由紀夫に黛敏郎、石田あゆみに大原麗子、伊丹十三に加賀まりこに若き日の荒井由美、と枚挙にいとまがないです。


紛れもなく当時最先端の一流の文化サロンだったその建物は今も受け継がれ、落ち着いた雰囲気で静かに佇んでおります。



キヌギヌを開いた2005年当時、この裏手にあるボロマンションに住んでいまして(東麻布3-2-4)ここは飯倉方向への抜け道の出口だった事もあり、週に何度も前を通ってはセピア色の風景に思いを馳せておりました。


整ったら、いつか、ね。


整うのに何と17年もかかってしまいました。整うどころか発酵しそうな年数ですが、いや、僕にとってはそのくらい重い場所なんです。



そんな訳でついに今夜、初入店です!今回はお店より撮影を全面的にご許可頂きいただけました。下村さん、ありがとう。




入口は建物正面より左側のドアから。




扉は新しくなさったのかな。以前に僕が見た時はまっと凄い古そうなのでしたが、、。


中に入ると、真鍮のボディに無垢材がデザインされた手すり。何とまあ、贅沢な。



地下へ降りた右手にある客席です。こちらは大きなソファがあり落ち着いた印象です。




壁にはガラス戸のついた温室のようなスペースがあります。わー、僕も同じこと考えてました(笑)




階段を降りた左側の空間にも、キッチンが伴う客席が広がっていました。こちらは少し賑やかな印象。写真は奥から撮りましたので、今来た階段を向こうに眺める方向です。




少し死角にある三角形のテーブル席は、ユーミンさまのお気に入りなんだとか、、。



ひゃー、全部の席によって角度が違い、それぞれに表情がありますよ。これはものすごく勉強になります。



想像するに、最初の右のお部屋の方が席数が贅沢であり、サロン的な使い方をなさっているのでしょうか。どちらもすごく素敵な空間。


今日のお席は最初のソファのある落ち着いた部屋の一番奥でした。





梶子マダムがオープン時に縫われたという布製のランタンがいまも踏襲されているそうです。ランタンのそばにあるこの小さな色のついた丸いライト。ちょこっとふざけたようなこの設えってば、なんと可愛いのか!




そしてですね、使い込まれた床の質感!!レトロ建築の時にいつもチェックする「古い床油を中心とした洋館特有のあの大好きな匂い」が確実に、ここでもいたしました。



洋館ならではの昔ながらの匂いにプラスして、キッチンから流れるソースの匂いや焦がしバターの香り、活けられた生花の香り、微かに漂う甘いクリームの匂いに混ざり合うこの洋館の薫り。


これこそ僕が夢見てやまない西洋の童話の挿絵で見たような「レトロな大人の洋食レストラン」の完全なる匂いなんです。


ああ、これは大変なことになりそうです。もう他のレトロ探訪では満足出来なくなるかも、、。







シャンパンを頂きながら未だジロジロやっていますと、細長いピッツァがやってきました。 

フレンチでよくあるアミューズブーシュだかブーシェだかのような気取ったものとは違う、気の利いたマダムのお家の食事会に呼ばれて、まるで「ちょっと摘んで飲んで待っててね」と言わんばかりのラフな雰囲気なのです。


味付けもサイズも温度も「粋だなぁ」としか言いようがない。そしてしっかり旨い。





摘みつつ、またお話ししている間に前菜のサンプル(実物)がやってまいりました。二十種類はあるだろうか。



僕は牛生肉のカルパッチョと、エスカルゴ、シーフードのマリネとあと何か。(思い出せません)下ちゃんの召し上がった椎茸のグリル、イワシの何かも一口頂く。




下ちゃんが「食べたくなったらまた前菜戻れば良いんだから」と。いやいや、いざ食べ始めると早々沢山は食べられない事くらい良く分かっているんだけど、その言葉が大食いにとっては嬉しいのですよ。


カニのスープ、これも絶品でしたね。



ああ、滋味溢れるとはこの事。エネルギーの塊みたいなスープでした。


自分でも度々ビスクのスープを作るのですが、まるで違う。どうやったらこの奥行きのようなものが出るんだろうか。



お次はパスタ。2種を選びました。


ウニのクリームパスタと



シェアして頂いたのでハーフサイズになっています。あっさりとしていて、あと3皿くらい食べたいな。


僕は根っからの貧乏舌なので、気に入ったものを一品だけ大量に流し込みたい欲が毎度頭を過ります。


美味しいものをチョコチョコ、が本来文化的且つ洗練された食べ方なんだろうけど、大量に流し込まないと本当の意味で深く、濃く繋がれた気になれないのは何故なんでしょう。やはり貧乏舌という他ないのか。


いつの日にか、何かの大仕事が終わったら、ご褒美に4皿くらいこれだけを食べに来よう。スープも付けちゃおうかな(笑)


なんて考えているうちに、名物バジリコのパスタの登場です。



バジルが市中に流通する遥か前にアイデアを捻り、自家栽培のバジルと市販の紫蘇を混ぜてお作りになったんだそうで。いや、ローマで食べたバジルペストも美味しかったけど、こちらも負けずに美味しいですよ。後2皿は行きたいところ。



メインはオッソブッコとミラノ風カツレツ。こちらもシェア済みです。


元々魚が好みなので、メインにそれもダブル牛肉ってのは珍しいのです。なのですが、キャンティさまでカツレツは外すわけにはいかないですね。


オッソブッコは牛のスネ肉の輪切りにしたものの煮込み。細いフォークを使って骨髄までいただきます。ビーフシチューのような濃厚さ!




全体的に僕の好みの旨みが濃い味で、量もやや多い印象です。


イタリアンのリストランテとも少し違うし、洋食屋という雑多なものでもないんです。

やは。キャンティはキャンティなんでしょうね。


食事の終わりにはデザート。もう、どれも濃そうな素敵なのばっかり、、。




プリンにオレンジのクラフティ、ティラミスにブランマンジェまで頂きました。

芳醇で濃厚で、レトロで、全部が僕の好みすぎて頭がクラクラしました。


シャンパンを頂いた後は大きなデカンタのハウスワインの赤と白。そしてスコッチを2杯ずつ頂いてチーズまで。


コース料理はまるで短い旅のようです。美しい山があり川が流れ、そこには街があり、、。今夜見たその風景は全て、美しくセピア色に染まっておりました。


レトロ、はたまた歴史にまつわる古いモノが好きな僕はしょっちゅう「その時代にタイムスリップ出来たらなぁ」と空想する事があります。 そんな時、残された僅かな建物を見る事くらいでしか追体験ができないのが現実です。


でも、レストランで当時の味をそのまま食べるという行為は、僕に撮ってさらに二歩くらいその時代に踏み込めたような感覚を味わえます。それも深い充実感を伴って。


やはり、僕はどうやってもレトロなレストランが好きなようです。そして、目の前にいる友人はロマンが溢れる気鋭こフォトグラファーであり、振ってくれる話題も全てセピア色。


段々と彼がルドルフヴァレンティノに見えてきました(笑)


(筆者撮影)


建築や音楽、準備なさっているテレビの人気番組の話や古い映画の話、はたまた五反田のニューハーフさんの話まで、縦横無尽に会話が続きます。


話が逸れても、逸れたなりに大笑い。やっと結実して次の話に行くと、2つ前の話のオチへと着地したり。

まるで伏線を張り巡らした映画のような彼の話題の豊富さに回転の速さ、膨大な知識と飽くなき好奇心には毎度驚嘆させられます。


当時もこんな話が繰り広げられていたのか。若い才能や情熱が渦巻いたかつての伝説のレストラン。


この店に相応しい素晴らしい会話を伴って、本当に素晴らしい時間でした。



満を持して海外旅行に行くのと同じくらいの気持ちでまたお邪魔させて頂こう。その時はまた再び素敵な空気を吸い込んでワクワクしたい。


もしかしたら自分の中で、レトロな飯屋でモノ食って色んな想像をしている時が人生で一番充実してるのではないか、そんな思いを反芻しながら、帰途へ向かいました。












しかし、どうしてこのお店が芸術家のサロンとなれたのか?という疑問。


まずは川添夫妻の出自によるところが大きいと思います。先にも書きましたが伯爵家に生まれ、ヨーロッパで勉強をした後に高松宮の国際秘書を勤めたなんていう経歴。政財界や文化的な人脈のブレーンも相当多かったと想像します。


でも、だからと言って必ずしもレストランが成功する、ましてやここまで伝説化するとは限らないですよね。


僕の興味は他にも、そんなに美味しくてオシャレで有名人の集まる店なら金にモノを言わせたミーハーな人達がゾロゾロ押し寄せて、孤高のサロンなんて成立しなくなるんじゃないか、という疑問。


本当に僭越な、生意気な事ですが、、帰り道で色々と考察してみました。




*夫妻の卓越したセンス、圧倒的に人を見抜く能力があった。


梶子夫人はレストランを営みながらも日本で最初のイブサンローランやピエールカルダンの独占販売権を持っていたとか、荒井由美の2枚目のアルバムの撮影場所として自身の自宅とグランドピアノ、サンローランのドレスを提供した、など。レストランに留まらない広い審美眼がおありだったんですね。


*イタリア料理が普及する遥か前に独自のレシピで提供を始め、意識の高い同じく帰国組に注目された。


バジルはおろか生のレモンすら流通していなかった時代に、新しいジャンルの食を提供する覚悟は相当に大変だったんだろうな。


*繁華街から離れた、かなり静かな立地を選んた事により騒がしい一般客から切り離された。


当時の飯倉周辺はかなり閑散としていたんだそうです。これからの六本木のモータリゼーション化、グローバリズム化を既に見越していたんだと思います。


*価格設定が高めだった事により、さらに一般客から守られた

(ラーメン一杯40円の時代にパスタが300円で、それもどんどん値上がりしたそう。今の価格にしてパスタ一皿が6,000円?!)


*深夜まで営業した事により、近場の放送後のテレビ局関係者が遅いご飯を食べに来られた事。


NHK始めナベプロや田辺エージェンシーの社長以下関係者が沢山集まっていたそうです。



、、きっと他にも沢山の要因があっただろうけど、洗練された印象のオーナー夫妻が店に顔を出していて、その場をコントロールしていたんじゃないか、と。


サロンというのはそういうところだと思うのです。何億円をかけたとことで、そのレストランに文化的な人が集まる訳じゃなし、念力の類いの何かを発する人がど真ん中にいてこそのサロンだと思うのです。


店は本当に生き物のように毎夜ニュルニュルと姿を変え、サロンの主の采配が明日の店を決定付けます。


ああ、美しくご夫妻のいらっしゃる時代に、隅っこでいいから一度食事してみたかったな。


素敵ないい意味での緊張感のある、さぞ美しい空間だったんだろうな、、。







上の階の日本初のディスコだった空間や(今はスタッフルームだそう)梶子さんのミシン部屋も撮影させて頂きましたが、長くなるのでまたいずれかの機会に。



長々とお読み頂きありがとうございました。










昭和レトロ探訪 ヤバい料亭見つけたっ!

 

正確にはまだ「探訪」はしていませんので、レトロ探訪ではないのですが。

また後日、お伺いして書こうと思っております。その辺りはご容赦くださいませ。


何もすることがないようなよっぽど暇な時はGoogle検索「ボロい」「和食」「残念」「広大な」「お屋敷」「旅館」「料亭」などと入れては片っ端から画像検索しております。


今朝は中々の大物が釣れました!(失礼)



そもそも、どうしてこういう店に興味を持ったかというとですね、東京は本郷や上野の外れ、京都や大阪、金沢なんかを散歩しているとたまーに巨大な料亭や旅館ってあるじゃないですか。古いて庭はジャングルで、中は一体どーなってんのかと。


(朝日新聞デジタルより転載)


検索したら意外にもお安かったり、営業されていなかったりと様々ですが、それを知りたくて毎度検索するようになりました。




今回見つけた場所は大阪。天王寺駅から歩いてすぐのところにある、関西系財閥の雄である某会社の番頭さんのご自宅跡だというこの料亭。


以前大阪の兄貴に連れてもらったすき焼き屋さんもそうだけど、大阪は特にお店が残ってるように思います。


今回はこちらを勝手に特集したいと思います。全体的に酷い事書いてますが、これも僕流の愛ですので、そう受け取って頂けると有り難いです。


検索に引っかからないよう、画像埋め込みで参ります。



***





大阪のターミナル駅すぐそばの立地にして、何と立派な塀。今時こんな立派な作りはないですよ。


立派な門が出迎えてくれます。




小川治兵衛作のお庭。池に桜が枝垂れております。




中々手入れがされておるようですな。




館内はこのような絨毯敷きの廊下。正しい佇まいです。





個室からはお庭が見えます。これは凄いぞ!

ここに住みたい。




写真を見る限り、さぞや名のある料亭では?と思いますよね。お見合いやご接待なんかをするような高級な席なのかなと。高そうだし、肩肘張りそうだなとも。


しかし、かなり庶民的な店なのです。ここから残念な設えが続きます!(笑)ワクワク。



広間はこんな感じ。あれ、料亭というより下町の水炊き屋のような、、。雰囲気が少し違うぞ。



活けられた四季折々の造花たち。ひゃー。





いやいや、料亭はお料理でしょ。そこを見てから語れと。





6,300円のコースより。


食前酒は梅酒。わー、一番有り難くないやつだ。一体、誰の需要があって出しているんだろうか、、。

恐怖の交響曲の序章です。



前菜 硬そうな業務用の鴨ロースと見た。皿は居酒屋で板わさなんてが乗ってる一番安手のやつよね。




お刺身は良いとして、この煮凝りみたいな和布。どうしてこういうお店ってこういう「あしらい」にやたら凝るのかしら。




腕ものはかぶら蒸しか。日月腕も一番安い業務用。しかし何だろう、この吸口は。子供の作ったクッキーみたいだな。 



焼き物は鰆。たぬき色のレンコンチップスと、瓶詰めのはじかみ生姜は正しい業務用食材の使用例。



焚き合わせは巻き物ばっかで、しかも解けています。水菜は茎っぽいし、こうなるともはや可愛いレベル!乱切り人参まで書き添えてらっしゃるけど、乱切りって一体。



揚げ物はこちら。絶対期待を裏切らない。終始徹底しているよ。



お食事は赤だしとご飯。かなり親しみあるな(笑)



漬物が見切れてたのですが、どうしても見たくて(私何やってんだろ)違う方の写真を調べます。やはり。


この漬物の盛り方、やっつけ感が胸に刺さります。



そしてデザート。冷菓とあるのは正方形に切られたゼリー寄せみたいなもののようです。

きっと硬くて、妙な酸味があるんだろうな、、。

岩のようなおはぎにも興味深々です。婆さまが喉に詰まらせないか、老婆心ながら心配してしまいます。



デザートには店の特徴がモロに出るという定説があります。


この系統のデザートのよくあるパターンとして、植物性ホイップを載せたゼリーなんかがあって、普段はあん肝が入ってそうな染め付けの覗きの器に量の少ないのが出てくるんですよ。





そーいうのないかしら、、と思い別の方の写真を見たら。





ギャー!!やっぱり裏切らない!!







って、最高だろ!!この店!!




お庭が立派で池もあって建物が古くて(造花は嫌いだけど)肩肘張らない日常の延長にある異空間。


大好物です、こういうお店。


お料理はもうちょっと頑張ろうよ、位が一番僕には良いんです。そうでないとノスタルジーを感じなくて、あまり宜しくない。




***




僕が勝手に提唱している「通夜メシ」というカテゴリーがあります。人が悲しみにくれている時に供される、些末な味の仕出し弁当なんかそうです。


甘すぎる車海老の焼き物とか、干物みたいに硬くなった太刀魚の焼いたのか、中まで冷え切った身の細いエビフライとな、シャリがやたら大きな握り寿司とか、5年くらい常温保存出来そうな佃煮とか、舌がピンクに染まりそうな大根の漬物とか。



悲しみに寄り添う食卓、それは総じて僕のノスタルジーなんです。美味しい料理は味に意識が集中するからこの場合はよくない。あくまでも故人への悲しみが場の中心にあるべきで。


大阪の料亭が別に悲しみだとは思わないんだけどw、つまりは何でかホッとする外食の雛形なんですね。昔家族に連れられて行ったであろうこういう場所が僕の琴線に触れたんだろうけど、今でもこういう種類のご飯屋さんには目がありません。



しかし、夜に一人で料亭となると中々荷が重い訳で。


そう思って昼のメニューをみましたら、またこれが秀逸なのです!


ひょうたん弁当 1,700円!!



今のこの世の中で最も価値のある1,700円ではないかと思われる、ギッチギチの内容物。


夜の使い回しと思われる巻き物の煮物(夜は乱切り人参なのに、昼はなぜかねじ梅に細工されている)に、左手前はキムチの和物かな?何にしろ謎です。


6月に京都に帰る時、足を伸ばしてお昼はこのお弁当を頂こう。居住まいを正して、新緑が見える席からこのお弁当をつつきつつ、辛口の日本酒をちびちびやるんです。こうなりゃお刺身を追加しちゃおうかな。



日本酒 440円


僕は五合くらい飲んじゃうのですが、このお値段だと五合頂いてもたったの2,200円。あー、全てがキュンと来るなぁ。


こりゃたまらん。ブログ書いてて、それを肴に一杯飲めそうですよ、僕。


この世の幸福が詰まったような素晴らしい料亭、どうかこれからも永く人々を幸せにして下さい!





というか6月まではやってて!!






(悪口ばかり書いてすみません)











昭和レトロ探訪「小田原の薬局」

 


前半はニ分咲きの湯河原梅林の文句を、後半よりレトロ探訪です。



温泉宿を後にして湯河原の梅林へ。向かいます。車で30分くらいの所にあります。


着いた先は大行列で、さぞ立派な梅林なんだろうなと期待に胸が膨らみます!


ちょうど五分咲きとの事です。梅の山なんて初めて訪れるのでどんな感じなんだろう。漫画のガラスの仮面の「梅の谷」みたいに幽玄なる景色が広がるのか、、。





川を越えて橋を渡り、クネクネした道を行きます。こうも期待を高めてくれるファサード、素敵です。










咲いてねーじゃんかよ!!





菜の花と、一部の梅はチョロりと咲いているんですが、、




これ、二分咲きくらいでしょ!?





んもー、誇大広告とは言わないけど、五分咲きってのは半分くらい咲いてるって受け取るのが普通ではないのか?




これでも九分咲きだそうですが、、




(写真は小田原市公式ページより)



(同上)




んもう、花より団子だもんね。食いに走ってやるわい。


梅ソフトクリーム、300円。





若い子には解らないだろうけど、ロッテの梅ガムを薄く練り込んだようなお味でした。うむむ、、。


ハゲをクリームだらけにして梅林退散。


さらに食い意地が増してしまった。何かないかな、と車から物色する。



あっ!!




性善説の具現化、無人販売所だ!ワシ大好きやねん!



ミカンと、蕗のとう7パックを全て購入。天ぷらもいいし蕗味噌もいいし、ごま油を少し入れてお浸しにしてもいいんだよね。


2つは鎌倉の義理の両親にお渡しして、残りは持ち帰る。蕗の薹をこんなに沢山買ったら、、伊勢丹なら幾らくらいするんだろうか。




アクの強い食べ物がそもそも好きで、生のを車中で5個くらい食べましたw


こうなると購買意欲が止まりません。帰りの海沿いにある浜焼き屋に乗り込み、蛤やサザエを食べ




煮干しやらしらすを買います。他にも沢山書いました。





シラス干しはですね、炊き立てご飯にマヨネーズと乗せて食べるとこれが旨いのです。子供の頃からの大好物です。


煮干しは頭とワタを外して味噌汁の出汁にしたり、、、嘘です、ビール飲みながらバリバリ食って終わっちゃいます。




海も山もある湯河原町、最高だな!また参りますよ。







***








お次は小田原市へ。


小田原市はレトロの宝庫でして、8年前にも天丼について書かせて頂きました。


http://lequineguine.jugem.jp/?eid=661#gsc.tab=0


水曜日に通るのがほとんどのこの街、名物ういろう屋さんはいつも定休日です。


僕は月火曜日が定休日なので大抵2泊などして小田原を通ると大抵水曜日なので、かつて開いてる所を見たことがない(笑)





ういろうという和菓子ではなく、本来の意味であるあのお薬を愛用しております。




この辺りの変遷は他に譲るとしまして、、。つまり、水曜日に開いていないのでこの錠剤の追加がいつも買えないんですよね。なので少し過ぎたところにある、小田原駅の前店舗で買う訳ですが。一度お城みたいな本店で買い物がしたい!


やってないものは仕方がない。それはそうと、このういろう本店並みに気になるお店がこのちょうど斜め前にあります。





キヌギヌでたまにヴァイオリンを弾いて下さるM氏が何年か前に「絶対好きそうですよ」と教えてくれたこの古ぼけた薬局。いつか行ってみたかったのですよ。


しかし鎌倉方面からは反対車線にあり、ドライバーに気を違う僕としてはあまり強くリクエスト出来ずにいました。今回は意を決して「どーしてと行きたい!!」と懇願。



そんな訳でやっと来れました、某ボロい薬局!!


買い物をしている間にササッと撮影させて頂きました。



奇を衒わない、削ぎ落とされた外観。



店内右側を眺める。Tetrisのように整然と収められた棚の収納力は如何程か。



レジ上部にはホーロー看板。何とも静謐な姿。



作り付けの木枠に収められたガラスショーケース、これは溜まりません。



美しすぎるタンスの引き出し。用の美とはここの為の言葉のよう



理化学実験用具のようなものも見えます。はぁ、、。好き、、。




いやいや、参りました。素晴らしい雰囲気です。


僕のお店も目指しているのですが、僕は使い込まれたアンティークの木枠に収められたガラス棚フェチなんですね。魅せる収納のその先にあるもの。用の美とか、陰影礼賛とかそういうのは僕には分かんないけど。


集約すると、朝倉彫塑館のライブラリーが頂点なんですがね。





しかし木枠にガラス収納があれば良いって訳じゃないんですよ。僕がもっとも興奮するのは、怖くて不気味なんだけど、同時に懐かしくて落ち着く、その辺りのバランスなんですよ。


俵屋さんの予約ギャップ論にも通じるんだけど、近寄りがたい怖さみたいなのは世の中の最大のスパイスなのかも知れない。


こういう朽ちた薬局とか、気狂違い博士の研究室とか、近所の幽霊屋敷と呼ばれる洋館とか、洒落た不良の集まる麻布台のイタリアンレストランとか、これらには何かしらの一貫した不気味さが横たわっていると思います。


世のお母さんが「近寄っちゃダメよ!」と言いそうな場所とでも言うか。



***



実家の向かいにあった(今はない)昭和初期のヤマイチパンというパン屋さんの内装が、まさにこの感じでした。いや、これ以上かと。


重々しい西洋風の焦げ茶の木枠には分厚い波板ガラスが嵌められ、真鍮の取手が付いていまして、中には焼きたてのパンに加えて日に焼けた瓶詰めのジャムや缶詰や少しの食品などが整然と陳列されていました。


今思えば街場の小売店なのに、なんであんな重厚な内装だったんだろう、と。


焼けていない建物が戦前から残る京都下町あるあるなんですが、今オーダーしたらン千万じゃ効かないだろう凝った内装の中、300円くらいの食パンを売っていたソクラテスみたいに彫りの深い爺さん。


鼈甲メガネをかけ、白髪をポマードでまとめ、どこか哲学者のようでした。


冷んやりした空気の流れるあのパン屋は、どこかウィーンの下町の老舗のような「ウチはウチのやり方で」とでも言わんばかりの孤高さと、ノスタルジーたっぷりの幸福感に満ち溢れておりました。そこからは何とも言えない建物が持つ「匂い」を放っていました。埃が少し混じったような凛とした匂いで、古い洋館のようなものでした。


その店は半分を煙草屋さんを兼ねていたので、僕は親父のタバコのお遣いがあると進んで買いに行きました。店にはいつも、あの凛とした匂いが漂っていました。



取り壊された日のことも覚えています。共に所有されていたお隣の銭湯と共に、ショベルカーで粉々にされ、1週間後には跡形もなく更地になっていました。


子供の頃の僕は歯痒い思いで眺めていたのを覚えています。


もし今の僕なら交渉して、磨き込まれた木製の建具全てを買い取れたかも知れない。ああ、今考えても悔しいです。


今思えばレトロ好きになったのは、あの角のパン屋の幻影を追い求めているのかも知れませんね。


、、、そんな事を思い出していると、強烈なデジャヴに襲われます。



ああ、危ない。早く車に戻らないと頭がおかしくなるよ。



車に乗り込み、鎌倉方向へ向かう。伴侶の世間話を生返事で返しつつ、どうしたらキヌギヌでさっきの薬局や、いつかのパン屋みたいな空気が再現できるんだろうかと考える。


狙って出来るものではないんだよな。冷んやり重厚な中にあって、春の陽だまりみたいに暖かい懐かしさ。


相反するモノを同居させる難しさに加えて、夢で見た景色を再現するくらい困難な事は他にないですよ。追えば追うほど遠くに逃げてしまう。




また一つ、蕗の薹を摘み上げて口に放り込みます。もぐもぐ。




うーん、現実はこうも青臭く、苦いものなのか。切ないなぁ。










魅惑のフランス料理「ラ ブラッスリー」




昨日はご縁がありまして、僕の心の聖地ともいえる帝国ホテルにお邪魔してきました。


「改まったお席」「晴れの日」の究極の場所だと思っております、この場所。行き交う品の良い老夫婦に、会釈が絶えない美しいホテルマン。文句の付けようのない一等地に鎮座する、広い贅沢な作り。


もし、頻繁に通ったとしたら幸福感がすり減ってしまう。ご褒美としても他とは違って別格の場所なのです。軽々しく利用してご褒美の価値がすり減ってしまうといけないと心を戒め、今まで滅多に足を踏み入れてません。食事は過去に2回だけですし、有難すぎてショッピングモールさえも通り抜けたりしません(笑)



そんな聖地、帝国ホテル地下にありますフランス料理のレストラン、ラ ブラッスリー。


1983年にオープンした現地の香り漂うフランス料理をカジュアルに、、というコンセプトなのだそうですが、僕なとっては敷居が高くてどこがカジュアルやねん、と捻くれるばかり。


心がいつか整ったら必ず行きたいと思っておりました。パソコンにはこの店だけの写真フォルダもあります。



木目を多用した重厚な作り。軽い気持ちで来るものを拒むかのよう。




既視感のある赤いソファーが僕を優しく包んでくれます。落ち着くような、職場にいるようなw



サッポロ黒ラベルを頼んで(フレンチを頂く時はそうと決めている)喉を潤し、憧れのディナー開始!


テリーヌにエスカルゴ、コンソメ、タルタルステーキ、、。フランスの文字通りブラッスリーの正統なラインナップ。


何度も書いていますが、僕は最近の「軽〜い」健康的なお味付けのフレンチは好みではありません。古き善き仏蘭西の、バターや生クリーム、出汁の効いたフォンたっぷりのお料理が食べたいのです。 


たまのお出掛けくらい濃いもの食わせてよ、太るのが嫌なら翌日から納豆飯食えばいいじゃん、と思ってしまう。


新しい健康志向の味は否定はしないんですよ、ただ、どの老舗も雁首揃えて軽い味に移行しているのが悲しいんです。とは言えこちらもしょっちゅうお邪魔するわけでもなし、とやかく言う権利は無いのだけれど、、。



そんな訳でプリフィックスの前菜3品から、全部を注文(笑)一家心中の前の食事のようです。


まずはテリーヌ。ワゴンにて運ばれます。ワゴン好きですからそりゃもう大興奮。




1人一種なのですが、友人と違う種類を頼み、盛り付けてもらいました。オマールと鴨です。





恭しくワゴンで運ばれ、目の前でカットして盛り付けて薬味を添えて下さって。なんと贅沢時間なんだろう。外食はプロセスや演出も味と同じくらい大切ですよね。


僕が小学生の頃にこんな所連れてもらえてたら、、もっと感性が深く豊かに育ったに違いない。悔しい。


まだ料理が始まってもいないのに、既に大満足なんですよ。友人とは話に花が咲き、早速パンにバターを肴に赤ワインを飲んで夢心地。ご満悦の僕です。


このまま、テリーヌに手を付けずに無限ループしていたい。時よ止まれ!





テリーヌを堪能したらお次はエスカルゴ。伝統的なお店に行くと必ず頼みます。


どこぞのイタリアンチェーン店のも美味しいんだけど、、やっぱ仕事が違うんだよなぁ。僕でも分かる奥行きの深さ。柔らかな歯応え。




この時点で既に胃ががパンパンに!さて、どーする。まだスープも出てないぞ。


と、来たのはスープ。きちんと銀のチューリンに入ってます。もう溜まりません。


ポワロネギのクリームスープ、完璧です。





ここまで来て、満腹でもう何も食べられない。


実は2週間前から脂質制限を始めていて、玄米菜食に戻してました。 今日は久々の脂肪解禁日だったのだけれど、急に摂った大量の乳脂肪が体を駆け巡り、眩暈がする!!


そんな僕へ届いたのは巨大なシャリアピンステーキ。宿泊していた歯の悪いオペラ歌手からの高タンパクな食事を、というリクエストに応えたのは有名な話。帝国ホテルでシャリアピンとエリザベス女王風の舌鮃は、最も有名なメニューなんじゃないかしら。





玉ねぎに漬け込んだお肉は柔らかく、滋味溢れるお味。歯茎だけでも噛み切れそうです。胃袋の心配はどこへやら、一瞬で食べてしまいました。



呆然としているとワゴン攻撃第二弾です。幸せの特急列車、ワゴン。


銀メッキのボディは磨き抜かれており、ガラスのシリンダー型になっている。蓋のケースを上に回転させると歯車に連動したプレートがサービス者の方へゆっくりと迫り出す仕組み。




よくよく観察してみる。これなら開口部も広く、跳ね上げた蓋が死角を作らず誰の視界も遮らない。


なんて効率のいい設計なんだろ。しかしこんなもの特注したら、幾らするんだろうか。


半ば呆れつつ眺めていたらお店の方が「高級外車が買えるくらいしますよ」と耳打ちして下さった。なるほど、、。



多分ワゴンが人より10倍くらい好きなんですよ。南麻布のイタリアン「アッピア」の巨大前菜ワゴンを見た翌日からは呆然と過ごしましたし、東京會舘のデザートのワゴンサービスを受けた翌日は、ヤフオクでワゴンを買ってしまいました(過去ブログ参照)


若い頃なら「全種類!!」なんてオーダーしていたもんだけど、本当に今は無理になっちゃった。


プリンを控えめにスライスしてもらい、それにて締めとする。ワシも大人になったなぁ。





これがもう、濃厚でメチャクチャ美味しいんですよ。カスタードクリームより濃くてクリームブリュレより豊か。何が入ってるんだろう、、。また僕の「濃厚」旨いものリストに、新たなメニューが加わりました。


普段飲まないコーヒーを頂きながら、お店を眺めつつ雰囲気に浸る。ああ、パリに来てるみたいだな。


気の利いた洒脱で気取らず食事を摂るという、大人の愉しみ。



図らずも今夜はご馳走になってしまいました、本当にそんなつもりじゃなかったのに、、。某氏、ありがとうございました。




***



その後はロビーを少し見物します。人の少ないロビーには匂い立つ菊の花。


短い秋が終わろうとしております。もうすぐすると街中、クリスマスの装飾に変わりますよね。





時の経つのが年々早くなります。いやホントに。


一昨年の年間9ヶ月お店を休んだコロナ時期でさえ時間が経つのが早かったんだから、この感覚はもう止められない。


そうやって気が付かない間に、人生最後の年が来るんだろうな、、。


いやいや、人生にはまだ知らぬ愉しみが沢山あるじゃないか。今日初めてお邪魔したブラッスリーもその一つ。人生にはまだ見ぬ楽しみが山ほどあります。


次はですね、今回頼めなかったコンソメスープにタルタルステーキ、舌ビラメの女王風、正統ショートケーキまで食べたい。仕事頑張って、また心が整ったら早々にお邪魔させて頂きます。



***




キヌギヌのソファー、順調に修理が進んでいるそうです。工房から写真が届きました。









こちらの赤いソファー、金曜日に復活いたします。


益々居心地の良い空間を目指して。


どうぞ宜しくお願いします!







昭和レトロ探訪〜近畿4本立て



今回は関西レトロ探訪です。4軒まとめて参りますよ。





*明治35年創業のかやくご飯屋


*奈良の数寄屋建築、隠れ家サロン


*明治17年創業の日本橋のすき焼屋


*昭和21年創業、道頓堀の老舗うどん屋




と併せて、豪華ラインナップとなります!




***




まずは1発目、なんば近鉄駅からすぐそばの定食屋さん、明治35年創業の大黒さんでお昼ごはん。



ドリフのセットのような建物に加えて、入り口のモジャモジャ植木は老舗の正しい佇まい。写真撮る時に赤いコーンが邪魔で、どけたろか!とよっぽど悩みましたが、こういうのをイジると色々問題になったりするので当然自粛。


店内はこれまたコックリ味のある雰囲気です。パートと思しきオバちゃん(大阪弁に蔑称のニュアンスはない)が2名でお忙しそうに働いておられます。



僕の席は通り側で、ガラス越しに観音竹が見えます。あー、僕にとって、これまたど真ん中のノスタルジー。



昭和50年代、、実家の近くの古い定食屋も力餅食堂も、大体が格子窓にガラスのこの内装でした。トレンドだったのでしょうか。



メニューは縦書きで、定食屋と言いつつもお酒を呑ませる趣向と見た。こりゃ乗っておかないとね。




ぬるめの燗酒と酢蛸を注文。他にはかやくご飯とさわらの焼いたの、蛤のお吸い物。


汁物は白味噌、赤だし、すましと選べて具は豆腐落とし、卵、蛤とある。白味噌は余裕があればいってみよう。


このですね、緩いめの燗酒の具合のよろしい事、、。そして、この酢蛸の優しい酢の爽やかな味付けといったら!




お江戸で出てくる重めの酢醤油も好きなんだけど、まるで正反対の柔らかくて爽快な味付け。素朴な何かの柑橘のジュースと昆布出汁に、甘さも塩気もうんと控えめでタコの味が前へ出てくる!


思わず酢を飲み干しました。これは一度試してみようっと(多分真似出来ないけど)


さわらの焼いたのは写真撮る前にガブッと一口で買ってしまいましたので、画像なし。最高でした。


かやくご飯には上には海苔が掛かっています。





小さい頃ころから母が「今夜はかやくご飯やで!」などと連呼していたのでなんの不思議もなかったんだけど、お江戸では誰もかやくなんて言わない上に、今思えば火薬って何やねんという話です。方言って謎です。


お味は、、うん!関西の優しい味付けで、お椀も間違いない昆布の味です!これはヤバい。このコンビは幾らでもいけちゃう。


お酒をお替りして、吸い物を肴にお酒が進みます。身も心も溶けて行きそうな、浪花の夏の昼下がり。


いけない、この後は奈良に行かなけりゃいかんのですよ。お約束があるのですが、ここのかやくご飯をお弁当で売っていたので、それをお届けしよう、という事でそれも注文する。


後で送り主から送られてきたお弁当の画像も、、これまた懐かしい経木の折に入った折り目ただしいお弁当でありました、





明治35年って、早稲田大学が開校した年なんだそうです。その頃からずっと、只ひたすら美味しいご飯とおかずを作り続けてらっしゃるという事実。


226事件も太平洋戦争もバブル不景気も乗り越え、かやくご飯は変わらず炊かれ続ける。


当たり前っちゃ話は終わっちゃうんだけど、ウチの店がコロナで静かで、なんてこのお店からすれば屁みたいな出来事なのかもしれない。滞在中の日航ホテルもそうだけど、たくさんの人がご飯を食べていかないといけない。すごい大変な事だと思います。


ウチなんて雑居ビルの店舗を維持しながら僕1人が食べていく位の苦労、たかが知れてますよ。そんな事をぼんやり考えながら日本酒のグラスをいじくり回します。


旅って、こーいう時間が大切なんですよね。


毎度旅のブログも大体同じ「お店を省みる系」展開になってマンネリで申し訳ないんですけれど、それは予定通りというか旅の目的そのものなのでご容赦頂ければと思います。


僕にとってのレトロ探訪は、偉大な山のイタダキを眺めるとか地球の割れ目を覗き込むとか、そういう「大いなる存在」を垣間見て自分のちっこい悩みを鎮める作業なのです。


まだ暖かいお弁当を膝に乗せて、近鉄電車は奈良へと滑り込みます。



***



途中、大和西大寺の駅にも通りかかりました。ニュースで何度も見たあの交差点が電車の窓からよく見えました。


本当に実在するんだ、、、というのが瞬間に感じた印象でした。当たり前だけど、大和西大寺の駅も、ウクライナのドネツクも全て地球の上のとある場所に行けばあるんですが、なんかそれが不思議に思えてくる。


テレビで繰り返し観せられる度に、枠の中のどこか遠い星の彼方の出来事のように、見ている人の感覚がおかしくなるんじゃないか。


政治信条や思想は置いておいて、傷ましい事件に変わりはありません。電車が走り出し、胸が少し締め付けられるような思いがしました。



***



二軒目はこちら、ご友人のサロン。奈良駅前にある「三五夜」さんです。



もとは料亭の離れだった場所を改装され、お茶を中心に色んな活動をされています。お花や雅楽などの教室にお茶会にアンティークショップまで!和の美しさを集めた百貨店さながらであります。


暑い日でしたが、大阪よりずっと涼しくて風が抜ける、何とも気持ちのいいお二階。




そして、一階ではお濃茶を頂きました。




このギヤマンの水指が可愛い!!僕はお茶の手習がないので、買ったところで何にも使えないけど、、。そうめん入れたら旨いだろうな。、




四席だけのバーカウンターがあったり、そこは秘密基地のようでありました。いいな、いいなー。




僕もいつか和の設えの店もやってみたいなー。数寄屋の建物の間には坪庭があって、露路庭があって、ガラスの温室やら洋館やらが連なってて、そこで合奏したり蚊帳の中でゴロゴロしたり、仕出の懐石を食ったり。


そんな空想を掻き立てるようなステキな空間でありました。正直、羨ましかったです。予約制で茶道体験などして頂けます。奈良にお寄りの際には是非ともお尋ねになれば宜しいかと。


奈良 三五夜さんで検索してみて下さい。JR奈良駅から歩いて2分程という脅威の立地。






***





3軒目は大阪日本橋のすき焼屋さんです。


帰りはJRで天王寺まで戻り、待ち合わせの場所へと向かいました。


ご友人であり、お客さんの某「大阪の兄貴」お二人からディナーのご招待です。


「こんな店絶対好きやろなー、と思って」とニヤリと笑う兄貴の行く先には、、、。





ギャー!!!可愛い




なんだか凄いことになってるぞ。





道頓堀の繁華街のど真ん中に忽然と現れた、遊郭のような数寄屋建築!!


というか、飛田の遊郭にしか見えない(笑)



「すき焼、バタ焼、水だき」

「本せきぐち」

「二階ご案内」


と、簡潔な表記。バタ焼き、、こんなにソソるファザード、いつぶりだろうか。


平衡感覚を失いそうな、やや傾いた長い廊下を抜けると、、、



あーん、壁から天井から床からと、古い木のいい匂いがする。そこは醤油とザラメの焦げた匂いが染み付く。天井も柱も舐めたい。

 



窓からは謎の池が見えますw 僕なら水底に砂利でも敷いて、エアコン室外機を格子の細工のカバーで覆いたいところだけど、そん事言うのは野暮ってモンです。


こういう中庭を取り囲んだ作り、贅沢だなぁ。伊勢の星出館もなぁ。



そして肉、佐賀牛です。実家で食べたお肉も美味しかったけど、こちらも素晴らしい。


両親のすき焼きと兄貴のレトロすき焼き、むしろ連続で食えて幸せだと思うくらい、すき焼きと知った時に嬉しかった。


お肉を焼く松任谷さん似の姐さん。


この姐さんがメチャクチャ面白いの。いい意味で抜けがある雰囲気で、館の恐怖感を上手く中和してるんですよ。


少し砕けつつもキチッと仕事なさる関西のチャキチャキ姐さんのノリ、最高の調味料になっておりました。





建物の由来を聞くとですね、太平洋戦争の大阪大空襲で焼けた後、浜寺の別荘を移築したんですよ、とのこと。どう見ても別荘をすぐに移築したとは思えない存在感。


裏庭の松の木を玄関に植え直すのとは訳が違う。戦争を経てなお、どんだけ経営に体力あったんだと驚嘆するばかり。


聞けばこちらはお肉屋さんでもあるらしい。



いやいや、物販なんて素敵だなぁ。京都の某すき焼き屋さんよりも庶民的で好みだな。


うーん、ここ大好きになっちゃいました。


レトロで適度にボロくてちょっとスレた雰囲気もあり(ここ大切)、美味しくて楽しくてちょっと粋で、僕の欲しい全部が詰まっている。


ちょっとスレた、ってのは僕にとって非常に大切で、たとえば京都の俵屋さんとか料亭の吉兆さんってなると、そりゃ素敵なんだろうけど、ツッコミどころっていう要素は殆どないと思うのです。圧倒されて終わり、それだと楽しめない気がします。


あくまで庶民的な、例えば志村けんさん演じるひとみ婆さんが働いてそうな生きたレトロ飲食店により心惹かれます。


そういう意味ではここはドンピシャでした。






、、少し頭を冷やそうと、お手洗いはどちらですか?と聞くとあの向こうですよ〜と。確かに何か見えている。


ほえ〜、素敵だなぁ。可愛いを連発する語彙のない小娘のようにただ力無く呟く僕。




「全部可愛いっ!」



用を足しつつ、トイレの対角線上にはまた別の働く別のすき焼姐さんが見える。



色んな人生のストーリーが同時展開されているんだろうなぁ、懐が深い偉大な店だなぁ、などと敬服してしまう。


同年代の周りの子が話題のクラブや最新ホテルに行って色んな写真を撮りまくってアップするように、僕もまたここで写真を撮りまくる。つまりは興奮しているんですね。


僕はこのお店含めて、レトロ探訪は簡単にInstagramなんかに切り取ってアップはしたくありません。いつものクドいテキストを添えて、ありったけの愛を込めてブログに書きたい。



他の何をするよりも心が躍るレトロで時代遅れな飲食店。昨日は「美味しいものは先に取っておく」と書いたけど、レトロは別モノなのです。高齢化や経営状態、耐震基準なんかのタイムリミットが近いケースが多いので、貯金を下ろしてでも訪ねなければいけない、と思っております。



 レトロレトロ、何度もうるさいですね。


僕はきっと、生まれるべき時代を間違えたんです。




***





お肉の次はお野菜です。まだまだ幸福な時間は続きます。これまた正しい具材のラインナップ。そして、またもこの割烹着姿の松任谷嬢が給仕して下さいます。有り難や、、。




クラクラする心を抑える為にまたもトイレへ。わざと別の廊下を行くとそこには階段が。実家のとそっくりで、暫しナデナデする。この艶!この色合い!



その先には小型の運搬用エレベーター!可愛い。ボタン外して持って帰りたい。




もうこの時点でビールと日本酒でベロベロ。でもまだうどんがある。身が持つだろうか。


楽しい会話と共にうどんを吸い込み、この愛すべき店を立ち去りました。


いつかまた参りますね。そして、僕の好きそうな店というマニアックなチョイスをわざわざ連れて下さった兄貴両、本当にありがとうございました。


余りのセレクトの完璧さ良さに驚嘆しました。この間の箱根の岩風呂もそうだったけど、「好きそうなところありますよ」というフレーズ、こんなに予想以上の斜め上から来られると、もう堪りません。



いつかお返しさせて下さい、そして、キヌギヌこそをこんなふうに愛しいと思ってもらえるお店に僕が育てなければ、ですよ。





***




しっかり11時間ほど眠りまして、翌日の昼はこれまた道頓堀のうどん屋さん。


今井さん、とおっしゃいます。こちらも空襲で焼けてから後の昭和23年のスタートだと言う事ですが、その前は楽器屋さんだっだと言う変わり種。




内装はですね、、残念ながら綺麗なピカピカです(笑)



旅のシメは大阪風のお出汁の鍋焼きうどん。好きな食べ物のうち、3本の指に入ります。

(残りはカレーと、後一つは空位にしてあります)


海老天2本追加と、写ってないけどプラス天かす導入で思い残す事のないよう、完全なシメ飯となります。





しまった!天かすを入れ過ぎて油だらけになった!





これは失敗です。水面から1センチ位が油の層になり、もはや何の味もしません。単なるアヒージョです。出汁も具もうどんも油塗れ。


くー、泣きそうになりながらも油を飲んで席を離れました。うどん屋さんのせいじゃないんですよ、僕が悪いのです。(汗)





あー、欲張ったバチが当たった。何でも程々が宜しいようで、、。




おしまい







築107年の老舗旅館(後半はBL妄想)




今回は、箱根は強羅エリアにお休みを過ごしにやって参りました。


いつものドケチ旅館ではなく、かつて昭和天皇も泊まられました川沿いの老舗旅館です!


昭和天皇を沿道から歓待する箱根の人々の写真は公式サイトより。




往時の避暑地を偲びつつ、ロマンスカーは箱根湯本のホームへと滑り込みます。


僕はそんな大それた和風旅館に泊まったのは一度だけ。熊本の金波楼なのですが、格調高くて良かったなぁ、人のお金ってのがまたよかった(笑)



***



さて、強羅駅を降りました。早速看板がありますが、思ったより庶民的な感じですねσ(^_^;)





強羅駅から徒歩4分のこの旅館。同名の宿が塔ノ沢にもありまして、ここはその宿の後に作られました。


塔ノ沢の方は400年の歴史があり、皇女和宮さまが亡くなられたりと、これまた老舗なのですが、そちらを経営していた実業家が戦後に購入して開いたものらしい。華族によくあるGHQの定めた財産税の支払いの為に慌てて払い下げた、ってやつでしょうか。



その辺りはまた後で長々と触れます。




大奮発と言っても2人で一泊五万円中盤のところ。「そんなもんじゃないの普通?」なんて言わないでください。クーポンかき集めてビビりながら予約しましたから(´ω`)


安くて良いのが僕の宿選び、です。高いと負けだと思っている位ですので今回は例外です。




***





早速、敷地に入ります。へえ、鬱蒼とした感じなのね。




エントランスはもっと壮大なのを想像していたんだけれど、割と控えめな佇まい。


建物は純和風。しかし木造のエントランス横には洋風の応接間があり、煙突がくっついてます。建物の経緯についてはまた後ほど。





ここだけスイスかドイツみたいだな。




玄関はこんな感じです。控えめで、大正期の山の手の邸宅ってこんな感じだったんだろか、というような雰囲気。




下足を見ると、今回は5組のお客さまがみえているようです。ウシシ。




5700坪に14部屋、宿泊は5組。となると一組辺り1140坪が持ち分!これは相当素敵ですよ。


僕のオンボロ旅館の優先度は、高い順に


*ボロくて古いけど清潔に保たれている

*緑に囲まれて常に鳥が啼いてる

*空いている

*サービスが良い


なのです。土日休みのお仕事に着いてこなかったお陰で、訪ねた色んな行楽地、旅館は大抵空いています。特に寂れた温泉場に行くときは静かさが重要です。


仮に隣の国の賑やかな団体さんでもいらしていたら、、、静けさも鄙びた感じもありゃしないですよ。



なので、今回は一安心です。




レトロそのもののお帳場を通り抜けると、先には長い廊下が続きまして



その途中には大好物の坪庭!!!キャー!!


そこまで作り込まれている訳ではないけど、緑が深くて良いですね。もう、部屋行かなくてもこの前でゴロゴロしたい気分。ガラス越しで虫も来ないし、急な雨でも降り出しても濡れないし、坪庭最高だろ。




通るたびに坪庭がある、それだけで大満足です。



その先には雑な仕上がりの坪庭がw





夏場なんてただでさえ涼しいこのエリアで、ここ2箇所を開け放って水を打ったらさぞ涼しいだろうなぁ。風流だねぇ、粋だねぇ。



と、お部屋に到着。この宿は全室から緑が見えるとの事だったのですが、果たして、、



うお!新緑!深緑!!



伴侶の手が写ってますが、「写真撮るからどいてよ!」「えー、動きたくない」そんなやり取りになるほどの景色でした。


すぐ真下には小川が流れておりまして、チョロチョロと水音が聞こえてます。


伴侶より更に前に出て景色を楽しむ。




お庭に出て、自分の部屋を見てみました。正しい佇まいの日本旅館。これですよ、これなのよ。




でもね、粗を探せばキリがないです。全体的には木造特有の山小屋みたいなカビの匂いがするし、虫も沢山お越しになられます。



隣の洋室ってのが、また不思議な感じなのですよ。応接間風のソファが置いてあるのですがね、




こちらは更に古い匂い。トキワ荘とかメゾン一刻みたいな学生ボロアパートの雨上がりの匂いとでも言うのか、、。


その中の暖炉風の棚板が歪んでる上に変なクロスを素人仕事で貼ってて微妙だったり




トイレの配線も雑、というかやる気が全く無い様子だし(僕レベルで良ければ配線して差し上げたいw)




同額の都会のホテルでこんなのだと、お客に金属バットで殴られそうなレベルだけど、、それでもいいの。




深緑とレトロが好きだから...。






さ、お風呂だオフロ。建物を見に来たわけじゃないのよ、温泉に来たんだもんね。 お庭を10分ほど歩いて抜けた所にある、ありがちで新しめの露天風呂。まあ想像通り。





お次は大浴場。こちらは古くて、なんて素敵なんだろう!!ここに決まり!





木の香りに包まれて、コックリと味が出ております。天窓までついとる。



 

きちんと掃除されてて、ここは長く浸かれそう。昼寝してから夜中にたっぷり入ってやろう、と。






お次はお食事です。また坪庭を眺めつつ、お食事処へ。あら、部屋食じゃなかったのね、、。



んん!なんだこのセンスの家具は!?サービス台なんだろうか、あまり好みではないかな、、。





建物全体の雰囲気や、お風呂、坪庭との落差が、、。



蛍光灯の青白い光の中、組み立てテーブルを横目に全宿泊客の会話が丸聞こえの中、お料理が運ばれて参ります。


鬼怒川のお食事処でも完全個室になってたぞ。



百歩譲ってテーブルは良しとしようよ。意識して見なきゃいい話ですから。でも、、。


僕は器にはそこまでうるさい方ではないけど、全体的に好きじゃない感じなのです、、。バザーで売ってそうな雰囲気の、つまりは旅館の佇まいと合ってないんですよ。


「伊豆高原オーベルジュ 天使のほっぺ」とかなら合うかもだけど。





料理の味は伝統的な料理屋さんのような味付けで満足でしたよ。お出汁も食材も最高でした。しかし鮑も大トロも冬瓜も全て「天使のほっぺ」皿に盛られて出てくる。


建物がレトロだからといって器までがその線上にあるとは限らないんですわな。トホホ。味が良いだけに何となく残念です。でも、僕の個人的感想なだけであって、それは皆んな同じとは限らない。お隣の奥様二人組は甲高い声で「可愛い」連発だったし。



この急須なんかも、若い子なんかはリラックスして食べられそうなデザインですね。




高くなくていいので、せめて古い染付なんかのだと、宿と合ってて素敵なんじゃないかしら。




蛇足ですが、食事の帰りに入った風呂の窓の外を見ると、沢山の大型ゴミが打ち捨てられていました。写真はこれだけにしておきますけど、 古い二層式洗濯機に客室の冷蔵庫にあらゆる物が、、。




僕も飲食経営してるのでよく分かりますが、大型ゴミって定期的に出てくるんですよね。ましてや処分費用も安くはないですし、 土地が広くて老舗だからつい置いちゃうのかね。



***



文句はこのくらいにしておきましょ、ごめんね。




この宿の成り立ちにはちょっとしたストーリーがありまして、それを勝手に掘り下げて書いてみます。


元々の強羅は火山岩がゴロゴロ転がる雑木林だったそうですが、時を経て整備され登山鉄道が通り、所有者である小田原電気鉄道が別荘地として15万坪を148区画に分けて分譲したものを三菱初代の岩崎弥太郎の三男(お妾さんの子ですな)が 、木造二階建ての日本家屋を建てて別邸としました。 


岩崎某氏1882-1960 


彼は1915年、33歳の頃に7区画をまとめて購入されたという話です。本邸は東京小石川にございます。



英国帰りの凛々しいイケメンです。


若き資産家の建てた別邸の近くには資生堂の福原氏や三井物産創立者で茶人の益田孝、歌人の斎藤茂吉なんかも続々と別荘を構えます。


1万坪近くの岩崎別邸には沢山の来客があったそうです。その中でも、ある方がことのほかこの土地を気に入ったそうで。



閑院宮戴仁親王

(かんいんのみやことひとしんのう) 1865-1945




フランス帰り、陸軍騎兵隊大将を経て終戦まで15年に渡り陸軍参謀総長を務めました。



 宮様はこの地を気に入り、岩崎某氏は土地の半分近くをこの売却し、その場所が閑院宮別邸となりました。その場所は現在そのまま、とある宿泊施設となっております。



本邸もそのまま宿泊施設内の料理店に。





で、残った半分の岩崎某氏の別邸が、戦後の売却により、今回僕のお世話になってるこの旅館となった訳です。


この閑院宮別邸が建った頃、戴仁親王には13歳になる息子さんがおられました。



閑院宮春仁王

(かんいんのみやはるひとおう)

1902-1988




偶然にもこの宮様の息子さんの事を近々ブログに書こうと思っていたのですが、旅館の歴史を調べていた時に閑院宮さまが登場したのはちょっとした偶然でした。


この方のエピソードはWikipediaにも出ているのでここで書いても怒られないとは思うのですが、戦後に同性愛スキャンダルのあった方なのです。


よく「スキーの宮様」とか「サッカーの宮様」なんて表現があるけど、世が世ならば「レインボーの宮様」なんて言われてたかも知れない(笑)


宮様の趣味は合気道と剣道。戦中には陸軍少将まで務め、3個連帯6,000名の大ボスであり、最後まで戦争終結反対だったというゴリゴリのお性格。ネットには美少年だったとの記述もありました。


1925年、23歳の頃には一条公爵家の直子と結婚をするが、直子は32年後の1957年に夫の同性愛的性格に我慢が出来ず、告発手記を発表して一大スキャンダルとなる。

裁判を経て一年後に協議離婚をする。(32年もよく耐えたな)



***



以下コピペ



1957年(昭和32年)には妻の直子が家出し告白手記を発表して、夫は同性愛者(男色家)であったと語り、スキャンダルに見舞われた。

 

上級将校には世話係として従兵がつくが、 官舎はせまく寝室は一部屋だったため直子の隣のベッドで春仁はその従兵と同衾し、戦後も三人で生活を送り、夫妻が喧嘩になるとその元従兵が直子を殴ったという。


 1958年(昭和33年) 7月31日に春仁は閑院純仁 (かんいん すみひと)に改名し、離婚裁判のうえ、夫婦は1966年に協議離婚する。


1975年頃に直子は「いろいろいわれましたが、 私は十分考えた上での決心でした。閑院を離れてもう17年になりますが、その間ただの一度も戻りたいと思ったことはなく、いまの生活は何物にも代え難い倖せです」 と発言している。





可哀想な直子さま。キリリとしたお美しいお姿です。


春仁王妃直子

(はるひとおうひなおこ)

1908-1991





***



33歳の岩崎氏と13歳の閑院宮春仁親王。

お父上と後継の息子が共に避暑に来るのは自然な事だし、夏の間にはきっと持ち主である岩崎某氏にもお会になってるんじゃないかな。

若き日の宮様が大財閥の少し影のある(想像)イケメンを見たら。宮様はその頃は既に性的指向を自認されていたのだろうか。僕には知る由もないけど。


もしもあったとしたら、戦前の避暑地で一夏の恋のようなものが、無かったとは言い切れないですよね、ゴリ押しが過ぎますかw

遠き日の禁断のロマンス。そうだったらいいなぁ。



「岩崎さん、㒒はもう直ぐ士官學校に上がります。お會ひ出来るのもこの夏限りです」

「そうですか、お父様のご意志をお継ぎになるのですね。ご立派な事です」

「士官に成るのは構わないが、岩崎さんと會へなくなるのが耐へられないんです」

「殿下!そんな事を仰つてはなりません、、」

「岩崎さん、、」






ドラマにしたら受けそうな、切ないストーリー。

少年期の閑院宮はジャニーズのなにわ男子の何とかクンで、若き日の岩崎は視聴率的に竹内涼真、壮年期は藤本隆宏辺りではどうかな。


BLなんで深夜の2時間ドラマ枠で、裏切られた一条直子は誰にしようかねぇ。影のある華族を演じられる女優さん、、今の若い人は知らないんだよね。



晩年の春仁王のお姿がこちら





田町駅前にビルを建てたりと旧華族としては経済的に上手くいった方だそうですが、老後はどんな想いでいらっしゃったのでしょうか。




***



などと、今朝のロマンスカーに乗りながら調べ物をしつつ、作家気取りでブログのネタを探っておりました。(笑)

強羅は僕の下らない妄想を駆り立ててくれる、古き良き別荘地です。





明日はお散歩がてら歩いてポーラ美術館と、時間があればラリック美術館の豪華車両を見に行きます

(´ω`)



長々とお付き合い頂きありがとうございました^ ^











港街のレストランのような...




レトロ、レトロ、、。買い物はほぼヤフオク、店にはガラクタが山のように。そしてベランダには至る所に苔を差し込んでは水を撒く毎日。


旅行先は都会のホテルには興味がなく、行くのはいつもお求めやすいボロ旅館。今もそんな鬼怒川の某旅館からこのブログを書いております。



サービスを受ける時は例外を除いて「気取らない」「安い」「レトロな」お店を選びます。


高くて旨いは当たり前の事。新しいお店をよっぽどでない限り選ばないのは、古い店のストックが沢山あるからです。古いお店は往々にしてリミットがあり、この先いつでも行ける訳じゃない。



古いレストランや旅館は比較的サービスも円滑だし、設備の減価償却も終わっていてリーズナブルな場合が多いです。


何より店に染み付いた「垢」みたいなものが好きなんですよね。不潔さと紙一重の懐かしさや落ち着き。ジジイやババアの独自のサービスに度肝を抜かれつつも、時間のフルイにかけられたような説得力が備わっています。



だからと言って、ただボロいだけは嫌なんですよ。不潔なのも無愛想なのも論外です。僕のレトロの意味するところは言い換えれば「粋で小慣れた雰囲気」とでも言えるかも。


先日もそんな小粋なレトロを探し求めて高田馬場をうろついておりました。




***





話は遡りますが、店のお客さまで僕の兄貴分のようなO氏のお薦めで、高田馬場のあるイタリアンレストランに一度、行きました。(まだこのブログには出し惜しみをしておりますw)


レトロの中でもド級のレトロなお店で、40年位置いていそうなショーケースにアンティパストが並び、





マスターは腰の曲がったお爺さま。「この窓側のお席は〜高円宮さまのお席でして〜はい〜」なんてセリフを、壊れたレコードのように繰り返し仰る、まるで西洋の時代小説に出てきそうなすんごい所なのですが、まこちらについてはたいずれ書きますね(笑)





数日前に時間が空いたので行こうと思ったのだけれど、どういう訳か電話が全く繋がらない。少し心配に思いつつ、とにかく飯を食わねば、という事で高田馬場近辺のレストランの検索をかけました。もちろん「レトロ」という言葉を添えて。



高田馬場は自宅から近い割に開拓してこなかったんだけれど、実はタイムカプセルのような古い飲食店が頑張っている街でした。


山手線が止まる割には地価がお安いからなのか、学生さんご多いからか、そもそもそういう気質なのかも分からないけど、沢山のお店が残っているように感じます。検索かけた時も三軒くらい行ってみたい店が見つかりました。 これは順番に巡って行かないと、、。



コロナが落ち着いているとはいえ、高齢経営者さんにとっては店仕舞いのキッカケとなる方も多いです。とにかく色んなお店にチャレンジして、気に入れば繰り返し応援する、それくらいしか僕には出来ない。



***




その店はイタリアンのすぐそばにありました。店名の下には地中海料理とあります。素敵な看板に期待は高まる一方!




少し入ったところには年季の入ったショーケース。経年変化の末、もはや中は見えない。だかしかし、見えなくとも料理が旨そうなのは充分に伝わってきます。




はい、もう確信が持てました。ここは大当たりです。





店内は縦長のこんな感じです。(拾いもの画像)




この広いホールを、ダミ声のお母さんがほぼ一人で回しておられます。恐るべし無駄のない動き。店内は超満員なのに、ですよ。


僕らの席は奥のこの辺り。写真に映る奥の窓は貸切個室でカラオケがあったのだとか。この距離だと歌詞まで丸聞こえでしょ(笑)




テーブルクロス、僕の店のベランダのと同じです。うーん、やはり僕のチョイスは正しかったか。


こちらがメニューになります。地中海料理とは言え、かなり多国籍軍なのです。中華風炒めだとかサンマの一夜干しに雑炊、果てはびっくりうどんというのも。


地中海で合同演習でも始めたのかと思わせるラインナップには、こっちがビックリするわ!!





総じてお安いですね。実感として市価の3割ほど安い印象。


ビーフシチューやエビフライなんかもあります。これは今度ランチの時だな。


そして本日のおすすめはこちら。生牡蠣2ピースで600円、、もうね、いっそ当たってもいいから早く食わせろ!!というお値段。



しかしこのお店、さっきからメチャクチャ忙しいのに、どういう仕組みか分からないけどホールはお母さんお一人でキッチリ回っております。周りの席は居酒屋と化しており、ハイボール6個だとか生中だとかがバンバン入る中でお会計からテーブルセッティングまでお一人でなさるんだけど、開いた方が塞がりません。


奥にはシェフやドリンクの方がいらっしゃるんだけど、特にフロアには出てこられません。


そんな中でお母さんをキャッチして、パパッと注文させて頂きました。




特筆すべきは、素早く出てきた牡蠣が恐ろしく新鮮なこと!!店の裏に海でも拡がってるのかと思うくらいに新鮮でした。僕は方々で生牡蠣を食べる方なので、たまに「あっ!」なんてなるんだけど、ここのにははちょっと驚かされました。



牡蠣をお替わりしつつのカルパッチョ。




これで580円とはどう言うことでしょうか。大抵のお店は少しの魚の上からチャービルやら玉ねぎなんかが振りかけてあって上手く誤魔化しているのに、こちらは直球勝負。魚が殆どなので食べても食べても減らない。


このソースがまた秀逸でして、後を引く独特のコクがあるんですよ。うーん、何が入ってるんだろうか。(意外と味の素とかだったりしてw)


これは安すぎます。皿ごと仕入れてキヌギヌで900円で売りたいくらいw


お次のアスパラサラダも正しいお味。これまたドレッシングによく知っている何か一味が入っているのだけど、最後まで判明せず。


アサリの酒蒸しも、昔イタリアで食べたような向こうの国の味がしました。ブイヤベースのスーかな?と思うほど濃厚でして

(拾い画像より)





この店のお味は一言で言うと「家族で出掛けた子供の頃のデパートの洋食のお味」と言ったところ。その時代からレシピの更新が止まっているのかも知れません。


ドレッシングの隠し味にしても、デパートで恭しく添えられた別添えの銀のソーサーに入ってるあの味なんですよ。古風で濃厚で少しよそ行きの、あの感じです。


一々唸りながら、物凄い量を注文しました。



写真を殆ど撮っていなかったのでまた行った時に撮って再掲しますが、一番美味しかったのはゴルゴンゾーラのニョッキ、これは僕にとって魔術的な味でした。


何かですね、イタリアの下町のオバハンが慣れた手つきでパパッと作ってくれた感じの味なんですよ。どれも角がピンと立っているようでした。


「料理はこねくり回すと美味しく無くなる」とは僕の母校の料理学校の先生の格言です。




ダメ押しのリゾットにはもう参りました。大食いYouTuber木下ゆうか張りに、タライか何かによそっても完食出来そうな旨味の加減であります。






内装のレトロな雰囲気だけでなく、お料理から「心から楽しんで行ってほしい!」という熱気が伝わってくる素晴らしいお店でした。しかもこのお母さん、皆さんから愛されているのがすごく分かります。 


テーブルでオーダーを受ける度に皆んな何かお話ししてる。僕も調子に乗って話しかけてみました。


「本当に美味しいです!ビックリしてます」「あら、嬉しいわ!コロナで散々だったから」

「そうでしたか...それは大変だったでしょ」

「でもお陰でパチンコ辞めたのよ。私大好きでさ、その為にスタッフ雇って通ってたけどコロナになってから...」


わー、なんか好きだなこのママ(笑)


ガラガラ声の飾らない、人情の溢れるお母さんでした。僕もすぐ好きになりましたw



話をしている所へ、まるで子役みたいな少年が入ってくる。家族でいらしてご両親が後ろにいる様子。「すみません、4名です!」


「あら、ごめんなさいねー、また来てね」


入れ替わりに杖をついた盲人がいらした。慣れた様子でスタスタ入ってこられて、目を丸くしていると「あれはウチの旦那」とお母さんが耳打ちなさる。


隣のテーブルは労働者らしき屈強なオッサンが腕まくりでピザを摘みつつ、ハイボールをガフ飲みしているし、学生風の団体も何やら楽しそうに笑い合っている。


色んな人が飾らず気取らず、思い思いの夜を楽しんでいるのだ。



うーん、ここは本当に古き良きマルセイユだかエクスァンプロヴァンスだかの、カラッと晴れた港町のレストランみたいたな。


カモメの鳴き声と波の音が聞こえてきそうな、、。



料理も後半に差し掛かり、お酒も手伝って夢を見ているような気分でした。





伴侶と二人で参りましたこの夜は


牡蠣を4ピース

タコとサーモンのマリネ

あさりのワイン蒸し

アスパラサラダ

トマトのチーズ焼き

ゴルゴンゾーラのニョッキ

ローマ風リゾット

牛肉のタリアータ

アイスクリーム


を頂きまして、その上ビールやら白ワインをガブガブ飲んで、一万円と少し。目測で16,000円位かな、なんて読んでたんだけど嬉しい大誤算です。


これはサイゼリヤに行くくらい気さくな食事ならば、是非こちらにお邪魔したいところ。



***



補足



こちらのお味が全くもって僕の味の好みだったというだけで、皆さんのお口に合うかどうかは解りません。リーズナブルなお値段や僕の妄想も手伝って少し楽しげに書いておりますが、壁にはビール会社のポスターが貼ってあるような庶民的なお店です。


このブログ通りには受け取れない方もいらっしゃるかもしれません、どうぞ鵜呑みにはしないでくださいねw


そしてこちら、全席喫煙可能店なのです、、。物凄くモクモクしておりましたので、苦手な方はオープン直後を狙われた方が!


僕も前半は少しキツかったです。




***




まあでも、こんな活気のあるレストランって今時楽しいじゃないですか!


旅行においそれと行けない今の時代、こういう外食はとっても楽しいものです。


高田馬場の..と、検索すればお店はすぐ見つかりますのでご興味のある方は是非とも行ってみてください^_^








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昭和初期の船場に三代続く女系の老舗足袋屋に生まれた男の半生を描く。女親に反発するかのように愛人を4人も囲いながらも商売に精を出す主人公。迎え入れた新妻の妊娠を探るために肥溜めを棒で掻き回す姑と大姑の陰惨な嫌がらせ、襲名披露の配り物がたった足袋一足だと聞いてケチだと馬鹿にする参加者を尻目に、実は踵の留め金具が純金製で帰宅した一同を仰天させるエピソードなど、船場の粋と意地が詰まった珠玉の作品。

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針女 (新潮文庫)
針女 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
有吉 佐和子
出征した帝大出の弘一が残した青春の遺書を胸に、パンパンや闇成金の持ち込む針仕事に打ち込む孤児の清子。彼女は過去に踏んだ針が体を周り運悪く跛(びっこ)になるというハンディキャップを持つ。復員した夫は戦争のせいで性格が豹変しており・・。パンパンや気違いといった現代では禁止用語の登場人物が行き交い、戦後の混乱期をそのまま原稿用紙の上に広げたような生々しい作品となっている。

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連舞 (集英社文庫)
連舞 (集英社文庫) (JUGEMレビュー »)
有吉 佐和子
昭和初期の日本舞踏の一大流派、梶川流の栄枯盛衰を描く。先代家元の妾の子に生まれながらも伸び悩む自分の踊りの才能、踊りの天才と謳われる性格の悪い妹、妹しか愛さない母に悩まされる青春時代。しかし、GHQ接収後のアーニーパイル劇場での歌舞伎ショーにてストリップを強要され、大逆転の末成功となり、家元夫人にまで上り詰めてしまう。忌わしい過去と出自に翻弄されつつも、過去をねじ伏せるかのように踊りに邁進し、遂に芸の道に境地を見出す主人公、月の直向な横顔が涙を誘う。

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明治のお嬢さま (角川選書)
明治のお嬢さま (角川選書) (JUGEMレビュー »)
黒岩 比佐子
明治期の令嬢の実態を探る。たしなみ、学力、美醜の葛藤、結婚生活まで多岐にわたる。面白いのは多くの令嬢は今と変わらず贅沢品に執着したらしく、友人の持ち物を嫉む生々しい手紙なども解説入りで紹介されている。その他、当時の流行の髪型や美人術、痩せる薬などの広告資料も収録。

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宮中賢所物語―五十七年間皇居に暮らして
宮中賢所物語―五十七年間皇居に暮らして (JUGEMレビュー »)
高谷 朝子,明石 伸子,太田 さとし
千代田の森の奥深く、宮中賢所に57年お住まいの神職の女性の半生を描いた作品。下界と分断された森の中で祈りを捧げる日々。厳格な穢れの区別(下界のものに触れると潔斎しなければいけない)、四足のものは食べてはならない、毎朝数時間かけて髪おすべらかしに結うなど驚愕の生活と共に、日本古来の自然に寄り添った質素な習慣を紹介する。

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朝香宮家に生まれて
朝香宮家に生まれて (JUGEMレビュー »)
北風 倚子
渋谷・松濤の鍋島公園一帯は戦前、広大な鍋島侯爵邸であり、著者の住まいであった。大空襲で火の海になった屋敷を逃れ、昭和という時代を生き抜いた、旧華族のお姫様の生涯。

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社長 島耕作(8) (モーニングKC)
社長 島耕作(8) (モーニングKC) (JUGEMレビュー »)
弘兼 憲史
言わずと知れた島耕作シリーズ単行本。長い経緯はさておき、弊店が表紙になっております。店主もタキシードでモデルを致しました。
是非お買い求めくださいw

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梨本宮伊都子妃の日記―皇族妃の見た明治・大正・昭和 (小学館文庫)
梨本宮伊都子妃の日記―皇族妃の見た明治・大正・昭和 (小学館文庫) (JUGEMレビュー »)
小田部 雄次
佐賀藩主鍋島家令嬢伊都子。彼女はのちに梨本宮に嫁ぐが、明治から昭和に渡って77年間日記を残していて、その様相は「書き魔」と言わんばかり。初の洋行先のパリで買い物の様子や婚礼、即位式などの華やかな思い出を経て、戦中戦後の倹約の様子や時代に対する落胆ぶりなど。往時の匂いが漂ってくるかのような生々しさ。著者、小田部雄次の解説が当時の世情をわかりやすく補ってくれる。

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写真集 酒井美意子 華族の肖像
写真集 酒井美意子 華族の肖像 (JUGEMレビュー »)
酒井 美意子
加賀藩前田家令嬢の酒井美意子。マナー講師として厚化粧キャラでメディアに登場した姿をご存じの方もいらっしゃるであろうが、彼女は戦前まで駒場の前田侯爵邸に居住していたことを知る人は少ない。莫大な財産と華麗な人脈を、膨大な写真とコメントで紐解く、いわば現代版歴史絵巻的な写真集。必読。

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極楽商売―聞き書き戦後性相史
極楽商売―聞き書き戦後性相史 (JUGEMレビュー »)
下川 耿史
戦後の性関連産業を裏側の視点から取材した戦後風俗史。進駐軍専門のパンパン宿や性具の販売店、愚連隊、ゲイバー、カストリ情報誌、個室喫茶・・・。戦後の性に携わった人々の汗や息遣いが聞こえそうな一冊。

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京セラ、auの創始者ににして仏門に入った稲森氏が、街の小さな碍子工場を一代にしていかに大企業へと成長させたかを描く。単なるサクセスストーリーに収まらない哲学や思想を散りばめた珠玉の一冊。

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芝桜〈上〉 (新潮文庫)
芝桜〈上〉 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
有吉 佐和子
我らが有吉佐和子先生の長編。戦前の花柳界を舞台に、二人の女が艶やかに力強く生き抜く。温厚で情緒的な梅弥、狡猾で気ままな蔦代。共に授かった類い稀な美貌を武器に、ただひたすら戦前、戦後の花柳界を生きる。花柳界独特のお茶屋の仕組みや旦那制度、一本や水揚げなど、判りにくい独自の世界がこの一冊でよくわかる。ストーリを彩る、旦那からの贈り物の三越謹製三百円の帯や、大粒の翡翠の簪、英国土産の巨大ダイヤモンドなど、随所に登場する豪華絢爛な衣裳拵えと、それを取り巻く年増女将との丁々発止のやりとりの描写は必見。店主のバイブルと同時に、不動の一位たる女流文芸作品。

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書いた記事数:1517 最後に更新した日:2024/03/25

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