美智子さまに見るファッションの変遷




おはようございます。キヌギヌちゃんの会員制云々のお話はまた次回に。とても良い感じですよ!




さて、お得意の皇室ネタです。


僕のパソコンには皇后陛下(以下、美智子さまと表記)フォルダーがあります。ご丁寧に撮影年月日まで入っている始末。

美智子さま、美智子さま、、、。なんでこんなに好きなんだろか。


今まで、歌手や芸能人に至るまでそこまで心を揺さぶられた事がないんだけど、美智子さまだけは別腹でして。考えるだけで癒されます。それって根っからのファンなんだよね。多分。

AKBファンの子が関連の何かに触れていると楽しいように、僕は宮内庁のサイトや皇室関連の映像を見ていると癒されます。肩こりが治りますし、心が解れて嫌なことを忘れます。


うーん、不思議だ。


今夜、フォルダを整理して改めて思ったのですが、美智子さまとは何なんだろうかと。


ふと見ておりますと、僕は美智子さまのお顔立ちもとても好きなんだと気付きました。


慎ましく嫋やかな生き様も、もちろん好きなのですが、造形としてのお顔の美しさ。

相当な美人ではないですか。



お若い頃は正に深窓の令嬢に相応しい、まるで秘密の園の野菊のような可憐さ。






皇室に入られてからは、そこに強さと華やかさ、少しのクールさが加わり、まるで孤高の百合の花のよう。






若い女優で例えると、吉永小百合さんのように甘い少女っぽさもなければ、若尾文子さんのように少し蓮っ葉な夜の匂いもしない。(お二人も飛び切り美しいとは思いますが)

では、美智子さまとな何なのか。ご活動やお考えは僕の察するに余りありますので他に譲るとしまして、今回は美智子さまをビジュアルから見て参ろうと思います。

ついでに時代のトレンドの変化にもご注目。

通勤電車のお供に、しばしお付き合い下さいませ。


1959年4月




結婚に際しての装い。ミンクのストールをお召しになっております。今では毛皮のお召し物はまず見かけません。時代ですねぇ。



1960年11月





インドご訪問

ちょっと珍しいお写真。こんなお帽子の時代があったのですね、、。モダニズム。可愛い。



1961年10月



東宮御所内のキッチンにて手料理をなさる美智子さま。エプロンが可愛いです。

バナナとリンゴで何を作られるのかなぁ。ミックスジュースなんて事は無いよね、、。透かし彫りの衝立は何だろう、、。疑問が尽きません。


関係ないですけど、雅子さまの料理の図。





ソーセージ3本だし、ごついミトンしてるし、何やら笑ってるし、、。疑問が尽きません、、。



1963年10月




満29歳のお誕生日をお迎えになります。
凛々しいお姿に、コスモスがよくお似合いです。頭の盛り髪が時代ですね、、。この後さらに大きくなります。




1964年





水泳大会をご台覧。


ご成婚5年でかなりお痩せになりました、、。肩幅なんて少ししかありません。ご心配申し上げます。



同1964年12月



学習院幼稚園の運動会

お痩せになった、、とご心配申し上げておったのも束の間、巨大な球をバックに笑顔で走っておられます。記事には「綱引きには髪を振り乱してご活躍」とあります。一安心(^-^)

そりゃ29歳だもの!!



1965年 秋




珍しく眼帯をお付けになってのご公務。美智子さまは滅多な事ではご公務をお休みにならないそうです。女官がお止めしても「だって、きっと皆さんお待ちになっているのでしょう」と仰ったとか。


誰とは言わないけど、若嫁も負けずに頑張りなよ〜♪(´ε` )



1965年 秋





日本赤十字大会ご臨席
いやいや、お美しすぎでしょ。透けてしまうかのような涼やかさ。讃える微笑みは若い薔薇の花のようです。


右より美智子さま、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さま、三笠宮妃百合子さま。

きっと美智子さまが中央寄りの上座で、続いて大正天皇の次男の嫁セッちゃん、三男の嫁キクさん、四男の嫁ユリちゃんが外側に向かって並んでいます。

このお姉さま方はそれぞれ松平家、徳川家、高木家から嫁いだバリバリの華族。美智子さまはご存知、日清製粉の民間出身。



服装の色ですが美智子さまは純白、オバはん達、いえ、、、お姉さま方は皆揃って紺色。何かルールがあるのでしょうね、あるにせよ、ですよ。
この一枚の写真から、奥深いドラマを感じずにはいられません。




1967年 7月





32歳の美智子さま、乗鞍岳を登山なさった折のお写真。


汗をかかれたのでしょうか。髪を抑えつける仕草がなんとも可憐です。
これは貴重です。





1967年 10月






秋の園遊会にて。


ミンクのストール、ご成婚の時の同じものかとよく観察してみたら、此方の方が白いのと、剥ぎ合わせが4枚でした。(ご成婚のは5枚)

僕は朝っぱらから何を数えてんだろか。アハハ。

百合の図案のお着物がピッタリ。

1970年3月





新潟県苗場スキー場にてスキーを楽しまれる。

僕の最も好きなショットでございます。アクティブで、優雅で品があり、サングラスがよくお似合いで、、。

しかしテニスはもちろん、乗馬にスキーに登山にピアノにハープに英語に。

文武両道、絵に描いたような闊達な才女であらせられます。



1970年2月


マレーシア王宮にてムアザム副王との晩餐会より





ティアラは皇太子妃第一ティアラですが、注目すべきはその髪型。

逆毛をお立てになり、パンパンに膨らんでおります!



目の前のパイナップルなんて霞んで見えます。




1971年11月


タイのプミポン国王の長男、ワチラロンコン皇太子と共に





この左の殿方、タイの現国王でありますワチラロンコン氏。


このブログでもご紹介しましたが、、、





ま、それは置いておいて



美智子さま、頭が益々巨大化して参りました。前年の縦よりも、奥行きの伸びが凄いことに。

流石、世は高度成長期真っ只中ですもの。膨らんで当然です!






1971年7月





資料には長野県、八ヶ岳農場にてとあります。

長靴穿かされて、こりゃ大変です。ティアラにロープデコルテから和服、十二単そして長靴まで。

このピンクの微妙な服は何なんだろうか、、。




1973年5月 オーストラリアにて





風呂上がり?!と思わんばかりのナチュラルメイクに、宝石の類は控えめな頭の上の髪飾りのみ。アクセサリーはお抑えになった割にはカナリヤイエローの鮮やかなドレス。バッグまでイエローとは、、。


70〜80年代はかなり独特なセンスですよね、皇室に限らず。




1983年3月





パナマ大統領公式晩餐前の家族スナップ
礼宮はお見送りですね。

しかしお父ちゃんとお母ちゃん、兄貴がビジネスディナー行ってくるよーっていうシチュエーション、この絵の破壊力は凄いよ。


もしも、うちのオカンがこの格好したら間違いなく拘束して病院連れて行くよな。

後ろにハープあるし、、。ぶっ飛び一家ですよ、全く。(非の打ち所がない)



1984年 3月





ベルギーご訪問の際のジャケット。


袖は少し大人しくなったのに、今度は肩幅が広くないですか?


どんどん見て参りましょう。



1985年





パフスリーブに肩パット、そしてウエストのベルトが完全なマッチョ逆三角形シルエットを構成しております。

強い女の時代。女が男を選ぶ時代。マッチョで肩の張ったシルエットは皇室にも例外なく。


1986年 晩餐会のご挨拶か?





見事なまでのパフスリーブに、襟元が謎のステンドグラス調になっております。僕にはよくわからない、好景気時代特有の不思議なファッションセンス。


1986年




同じ年、今度は長袖なのですが、袖が完全にバルクアップしてハルクホーガン並みのマッチョになっております。

時は高度成長期からバブル前夜。次はどこが膨らむのでしょうか、、。





1987年10月






美智子さまボストンにて。

もはや肩の幅が広過ぎて、ラベンダー色の冷蔵庫と化しています。美智子さまの本来の肩はこのくらいでした。念のため、、。





時代って凄いですねぇ。次はどこが膨らむのでしょうか。



1993年9月





ドイツ ベルリンにて

ついに植田いつ子先生のケープドレス登場です。肩パットはそのまま、ケープという新アイテムにより、さらにマッチョに。


同年、更に大きなマント型のお衣装も。





美智子さまがどうとかではなく、景気が良くなると女性のアイテムのどこかが膨らむ、というのが僕の仮説です。

盛り髪やパフスリーブにアームホール、肩パットに全体的なシルエットまで、。

僕は洋服の専門家ではないので、詳しい方、また意見をお教えください。


そして現在の両陛下。





あっ、実家のおじいちゃん、おばあちゃんだ。なんかホッとしますね。



皇室が好きとか嫌いとか、人それぞれ好みはあるでしょうが、1つ言えるのはこんなに働いていらっしゃる80代はそうそう居ないですよね。

ただひたすら、心から頭が下がります。僕の心の故郷でありアイドルの両陛下。




おまけ。


1953年、19歳の美智子さま。






ちょっと似てるかなと、、、。







(失礼しました、、、笑)



おしまい





近代華族の美人令嬢を紐解く



久々の華族研究です。暇つぶしにお付き合い下さいませ。


好評頂きました一作目は2012年、「近代日本のイケメンの歴史を紐解く」以来、数本の華族ネタを書いて来ましたが、 今回は初の女性にスポットを当てて考察してみることに致しました。


一口に華族と言っても多岐に渡ります。根っからの公家華族なのか、大名華族なのか、はたまた維新期の勲功華族や軍人華族なのか、それとも三井や住友のような大資産家に構成される新興華族なのか。




細かい分類はさて置き、この「昔のお嬢さま」の中に現代でも通用する美人がどの位いるのか?というだけの軽薄なテーマでお送りします。


年代はバラバラでーす。





***




北白川宮美年子女王 1911-1970 (生家は北白川宮家 成久王第一王女 臣籍降下により立花子爵家に嫁ぐ)






なんと清々しい王女さま。おさげ髪にレエスのワンピース、正しい深窓の令嬢。蓮華畑でパラソルの下、読書が似合いそう。

こんな方が通学路にいらしたら、男子達はメロメロになるに違いない。

残念ながら父君の北白川宮成久王はフランスに於いて自身の運転する事故にて亡くなられています。

女王は蜂須賀公爵と婚約していたが、蜂須賀氏の余りの素行の悪さに破談となり、その後結婚を経て49歳にて死没。





相馬雪香 1912-2008 (生家は第20代司法大臣 尾崎行雄の三女 相馬子爵家に嫁ぐ)






大人しい深窓の令嬢とは打って変わって、政界の麒麟児尾崎行雄のお嬢さま、さぞかし芯のある美人タイプだな、なんて調べていましたら、すごい経歴。



聖心女子学院を出られた後、活動を開始され、ひたすら女性と難民の救済に尽力されたとても有名な方らしいのです。

長年活動を続けられまして、96歳でご逝去。こんな言葉を残されております。

「学んであなたは、何をするの?」




カッコいい!!(´ー`)





前田鞭子 1895-1965 (生家は前田伯爵家、山縣公爵家に嫁ぐ)





こちらも堂々の加賀藩主、前田家の血を引くお嬢さま。(前田家は侯爵家なのですがお父上が富山藩主の家督を継がれていまして伯爵家となります)

ちょっと女優の尾野真千子さんに似てると思いました。



目元スッキリの美人ですな。こんな人と着物着て銀座をお散歩したい。あんみつ食べて、帯締め買って、活動写真観て。頭はこんなに大きくない方が良いなぁ。





松方幸子 (生没年不明 生家は吉川男爵家 松方公爵家に嫁ぐ)







岩国藩主の吉川男爵家に生まれる。最初調べ出した時は、「なんだ、地方藩主でしかも公、候、伯、子、男、で言う最下位の男爵じゃん」なんて思ってたらとんでもなかった。

千代田区駿河台の洋館に47部屋、トイレが8つ。父上始めご家族はハーバードに留学、、。そんな中何不自由なく育った幸子は第3代総理の松方正義公爵家に嫁ぎます。

うーん、本当に美人。美人薄命のタイプの美人ですね。こんなお母さんが着物で授業参観に来てくれたら、、。





白洲正子 1910-1998 (生家は樺山伯爵家)





ご存知白洲次郎の奥様で、伯爵家令嬢。ハッキリ顔の美人であります。

経歴は沢山あるので他に譲るとして、この日本髪のお嬢さんが後年、咥え煙草でこんなにワイルドに。(汗)




迫力ありますな。






住友春子 1913- (生家は西園寺公爵家 住友男爵家に嫁ぐ)








トランプで遊ぶ、些かの悩みもない美少女といった風情のお写真。

筋金入りの弩級のお嬢さまはこの後も全くお金に困らない人生を歩む。

祖父は総理を二度務め、大学を3つ作った公爵西園寺公望。お父さんは更に金持ちの毛利公爵家からの養子。(毛利家は華族一の資産量でした)

春子の嫁ぎ先は戦前の解体前の住友家。

あー、書いてて嫌になるわ。将来を約束された納得の天真爛漫な笑顔。






末広ヒロ子 1893-1963 (生家は福岡県小倉市長 末広直方、後に野津侯爵家に嫁ぐ)




現代風なパッチリとした目元、筋の通った鼻、今の美意識とかなり共通する美しい顔立ちでいらっしゃいます。
美人とはいえ、なんで平民出身の彼女がエントリーされているか。ここにはちょっと面白いお話があります。

1908年(明治41年)時事新報社が日本で初めてのミスコンを開催しました。学習院女子に在籍していたヒロ子の義兄がこのコンクールに応募したところ、7,000人の応募者の中、絶賛の元優勝しました。

学習院女子の院長である陸軍大将乃木希典は、厳しい校風と他の生徒への配慮もありヒロ子を退学にしてしまいます。

しかし、義兄が勝手に応募した事を知った乃木希典は申し訳なさに結婚相手を探し、ヒロ子を侯爵家に嫁がせるというお話です。
田嶋陽子さんが聞いたら暴れ出しそうなエピソードですが、、、。


因みにヒロ子の姉の孫はジャズピアニストの山下洋輔さん。晩年、リウマチで腰の曲がったヒロ子を見て、「怪物」と渾名を付けていたらしい。





柳原白蓮 1885-1967 (生家は柳原伯爵家 大正天皇の従姉妹)





少し前の朝のドラマで出てきました、歌人の白蓮女史。

伯爵家に生まれるも妾の芸者の子と告げられショックを受ける、後に同じく公卿の北小路家に嫁ぎ、愛情のない結婚生活に心を病んで離婚後生家にて幽閉生活を送る。
九州の田舎の炭鉱成金の家に嫁がされ、雑誌「解放」の編集者宮崎龍介と恋に落ち、出奔。



恋に生きた女性歌人、というイメージが強いのですが、皇太子明仁殿下(今の平成天皇)が平民出身である美智子さまと結婚するに際し、香淳皇后や常盤会のメンバーと共に右翼を動かして激しく反対しました。

自分は編集者と駆け落ちしてて、皇后が平民出身なのは許せないのかい、、。白蓮さん、そりゃないよ。



慎ましく老後を過ごす白蓮の写真がこちらになります。








ちょっと似てるかも、、、。






陸奥亮子 1856-1900 (新橋芸者より陸奥宗光伯爵へ嫁ぐ)





没落士族の旗本の娘として生まれるも、新橋より芸者として小鈴の名前でデビュー。伯爵陸奥宗光に見染められ、後年は駐米大使となった宗光とともに渡米。ワシントン社交界の華と呼ばれた。


まー、この方が今までで一番現代風な美貌をお持ちですかね。色んな美人の要素を複数お持ちでいらっしゃる。



他の方は生まれも華族、嫁ぎ先も華族という方が多いけど、この方はかなりの苦労人。ダンナが投獄された時も献身的に支えたとか。その後ワシントンで一花咲かせるあたり、漫画みたいな展開ですな。(英語どの位話せたんだろ?)
僕的には苦労人の陸奥亮子さんに一票を差し上げたい所です。





***





さて、美人の人はいいけど、その他の人ってどんな顔だったの?みたいな話になりますよねぇ。



僕の思う平均的なお公家顔のお写真もエントリーさせて下さい。ご無礼は重々承知です。

久邇宮妃俔子 1879-1956(生家は島津伯爵家)






お顎がかなり発達してらっしゃいます。





公家に特徴的な面長で、お目目がとても細くていらっしゃいます。所謂、引き目鉤鼻と言われる日本古来のお顔立ち。

浮き世の美人画もこんな感じの印象を受けます。


今回華族の方を調べた中で、このタイプのお顔立ちが最も多かったです。何でかな。

実はこの方、昭和天皇の后である香淳皇后のお母様なのですね。誠にやんごとなきお顔立ちのルーツに違いありません。



後年のお写真。







あれれ?


アップしてみよう。







ギャッ!!!



ブツブツかと思いきや、ベールの模様でした。どう見ても変ですよねぇ。何かをお隠しになろうとなさったのか、、。





そして、徳川家より15代将軍慶喜のお嬢さん。



四条糸子 (生没年不明 生家は徳川公爵家 四条侯爵家に嫁ぐ )






カッパ、、、、。




(失礼しました)




いやいや、ともあれ、お家柄とお顔の関係、今後とも調べて参りますね。まだまだ資料をまとめないと。(何のために、、、)


あと、現代版も興味深いです。各国の王族から、とびきりの美人とブスを探してまたアップしまーす。






おしまい






ダークホース的美人、愛子さま




少し前のニュースですが、愛子さま。







愛子さまというと、大変不敬ではありますが、あまり美しくないとか、目つきが宜しくないとか、色々言われて参りました。


しかし、最近の変化はどうでしょう!!
九月から炭水化物をお抜きになり、その後は肉類もお手を付けられないそうです。

凄くお痩せになりました、、。頬のラインなんて昔と全然違います。

まるで別人。







僕的にはちょっと痩せすぎだと思うのです。もう少し間くらいの、この辺りか







うん、この辺りがベストですよねぇ。だって、上のだと痩せすぎてガリガリじゃないですか。


国民を代表して、少し心配しています。


一部のネットには好きな人が出来たのでは?という記載もありました。確かに愛子さまは15歳の青春真っ盛り。多感な時期であります。



僕的には、好きな男に加えて22歳の従姉妹である佳子ねえちゃんの存在というプレッシャーが大きいのではないか、と思ったりしています。7つ上位って微妙に気になる年頃じゃないですか。

だって、とっても綺麗ですもの。




父方のお婆ちゃんも、この通りの美しさ。





個人的憶測ですが、そりゃお顔立ちで言えばどうやっても佳子さまには敵わない。


だけど、この最近の愛ちゃんの変化を見ると、20歳位までにさらに大きな変化があるのではないか、と。

元々からの変化でいうとかなり大きい。(失礼)


佳子さまが姫川亜弓だとしたら、愛子さまは北島マヤのように、骨格よりも表情豊かな女性に見えるのです。


まだまだ化けると読んでいます。女性には度々大変身して貰わないと!



というか、佳子さま美智子さまは元々美し過ぎて、僕的には少し詰まらないのです。どうやったって綺麗なんだもん。



とはいえ、美智子さまもこんなにふくよかな時代がありました。



やっぱり、女性は魔物。先天的美人よりも、大化けした美人に強く惹かれます。

このままバンバン美人になって頂けると、皇室も明るい。皇室の皆さんはメッセージを発信できない分、お写真で投げかけられる部分が大きいのではないでしょうか。



特にこのお写真。






お痩せになった事よりも、目の表情が違って見えます。

目に表情が加わりましたね。前の写真ですと三白眼でしたが、最近の愛子さまには目の筋肉を使うことを覚えられたのか、パッチリしたように見えます。

思春期のアレですかね、、。鏡の前で練習するやつ。






昔と全然違います、よね。



従姉妹の姉ちゃんとは違う美もあります。





愛子さまには本当か嘘か色々な噂があります。偏差値が72あって東大もラクラク受かるとか、大相撲の番付表を一瞬で覚えたとか、そっくりの影武者が2人いるとか、、。(笑)


一つもつまびらかになる事はなく、ましてや反論の機会さえありません。

でも、今回のダイエットを拝見して、とても安心しました。

綺麗になりたい普通の15歳の女の子だったのですね!!



何を言われても、我が道を進んでね。そして、自分なりのペースで美しくなるのですよ。


うん、こりゃ化けるタイプだな。








益々お綺麗になってね、愛子さま!







ティアラ研究その2



ティアラの所有者の変遷、という視点からもう少し掘り下げて調べてみました。

はい、僕は今、ティアラブームが来ております。しばしお付き合い下さいませ。
(・Д・)ノ



まずは、皇后陛下の第二ティアラ。菊花があしらわれたティアラです。



こちらは元々、大正4年に貞明皇后(大正天皇の妃)の胸飾りに作られたものでした。頭上には皇后陛下第一ティアラ。



胸元のアップ。



しかし、2年後の大正6年に第二ティアラに作り変えられています。

リフォーム?!何という事ですか。

しかも、ネックレスではなく胸飾りという謎のアクセサリー。胸飾りって何だよ。現代に胸飾りなんてしてる人いるのかね、、、


と思いましたら、お一人いらっしゃいました、、。






*胸飾り、ではなく「腹飾り」でした。金の梨地にさりげなく「よし川」って書いてあるし、、、。


えー、軌道修正してエレガントな世界に戻ります。(汗)




次は、ティアラの使用者の変遷について画像と共に見て参りましょう。

秩父宮節子さま(昭和天皇の弟の妃)がなさっていたティアラ。

こちらは数名の女性皇族に受け継がれている事が判りました。戦前から現代まで、皇族女性の頭上を飛び交っております一つのティアラ。

正確な時代は明らかではありませんが、なるべく古い順に並べてみました。



秩父宮勢津子さま(昭和天皇の次弟の妃)

僕の推測では太平洋戦前前後のお写真、昭和19〜23年辺りと思われます。



三笠宮百合子さま(昭和天皇の末弟の三笠宮妃)



近衛寧子さま(三笠宮百合子さまの長女、後に降嫁なさり近衛家に嫁ぐ)



千容子さま(三笠宮の次女、後に降嫁なさり茶道の千家に嫁ぐ)




高円宮久子妃(三笠宮の三男の妃)




つまり、三笠宮妃百合子さまを中心に見るとこのティアラは、

*ユリちゃんの旦那の兄嫁
*ユリちゃん本人
*ユリちゃんの長女
*次女
*末の息子の嫁さん(敬称略)

と、5名の方がお召しになっております。何と仲の良い、、。

百合子さまからお嬢ちゃまにかけての正確な年代が判りません。もしかして交互にお付けになっていたのか、きちんと年代別に所持なさっていたのか、定かではありません。

戦前なら、女性皇族の位取りがハッキリしておりまして、同じものを貸し借りするのはタブーとされていましたが(ティアラの大きさや十二単の色まで、プロトコルが厳格に存在したそうです)戦後はかなり緩くなったのかとも推測出来ます。

詳しい方、お願いします。



しかも、最初のお写真、秩父宮勢津子さまのネックレスは、雅子さまが着用しておられます。3連パールとトップに大粒の花珠パール。





話は変わりますが、高円宮妃久子さまのダイヤモンドのネックレス。ある写真より、お嬢ちゃまの婚礼の時に母から娘へお貸しになったのだと推測します、、


千家典子さま(高円宮久子さまの次女、降嫁なさり、出雲大社権宮司千家国麿さんの元に嫁がれました)




ママの着用シーン。



(ギロリとカメラを見据えるイエローのドレスはヒップホップ好きのやんちゃ姫、長女承子さま。実は僕的には女性皇族で一番美人だと思うのですがね、、。)

ママのネックレス、娘が借りたいとねだったのでしょうか。

それとも、サバサバしたママの事ですから、「これ付けてホラ、行ってらっしゃい!」位のノリでしょうか。


平民の僕には知る由もありません、、。



そして、ティアラの継承やアレンジは日本だけではありません。ティアラというものは大変高価であり、そうそうアレンジして作り直す訳にはいきません。そして流行も取り入れなければなりません。

皆さま、可能な範囲でのアレンジを施して着用なさっている様が伺えます。



昨日ブログに書きました、タイのシリキット王妃のど迫力ライオン型ティアラ。

あのティアラも華麗なコーディネートにより、姿を変えておりました。


先ずはシリキット王妃の自由の女神風のセッティング。




台座部分がアジャストするのか、丸くすぼめると小さな王冠のようになります。お姿は同じく、若き日のシリキット王妃。




一瞬、この女人の顔が浮かびました。(汗)





時代は遡りまして、このティアラの最初の持ち主は国王ラーマ5世の王妃の1人サオワパーポーンシー(国王の異母妹)です。

因みにラーマ5世(1853-1910)にはサオワパーポーンシーを含む160人の妻がいたらしい。子供は77人!

160人の妻にも宝石やティアラを買い与えていたのだろうか、、。恐るべしシャム国。






そして、ネックレスにも。(国王ラーマ6世の1人娘、ペッチャラット王女)





チャールストン風のヘッドドレスにも!(国王ラーマ7世の王妃ラムパイパンニー)





そして、現在のシリキット王妃に受け継がれました。

現在のシリキット王妃。これまた迫力が増しております。ティアラが小さく見えるのはお顔のサイズが、、、(自粛)


素敵!\(//∇//)\





シリキット王妃は、この他に10個以上のティアラをお召しになっている写真があります。流石ですなぁ。


その他、イギリスやモナコ、ルクセンブルク、ベルギーにスウェーデン、、。ティアラを所有する王国は沢山あります。一度整理しないとです。


(何のために、、)


ティアラ熱、まだまだ尽きません。

何でこんな物が好きなのか自分でもわかりませんが、しばらく続きそうなので、もう少しお付き合い下さいませ(汗)






皇室ティアラ研究



久しぶりの皇室関連。

女性皇族の第一礼装にはローブデコルテとローブモンタント、があります。


デコルテとはその名の通り首元、胸元の開いた礼装で、ティアラ(宝冠)とネックレス、長手袋を装着なさるのが常となります。





そして、何と言ってもティアラ。



女性皇族の方は一つか、それ以上の数のティアラをお持ちだという事です。

現在の成年皇族の人数を考えると、皇室には少なとも20個余りのティアラが存在する計算になります。

明治以降、成年後に降嫁及び薨去なされた妃殿下のティアラを数に加えると、完全品で40個近くが存在すると僕は読みます。宮内庁の金庫にでもはいってるんたろうか。虫干し手伝いたい。


因みに、眞子さまのティアラは「和光」謹製、2850万円。佳子さまはミキモト謹製にて2892万円。

これは、石の値段が入っていない制作価格だと思います。これだけの数のダイヤモンドを使い、3,000万円では作れませんよね。

仮に千粒のダイヤモンドが使われてるとして、一粒30,000円だとしても石代だけで終わってしまいます。そんな筈はない。




きっと、過去のティアラよりパーツ取りしたルースをミキモトや和光に持ち込み、台座のプラチナ及び加工賃のみが3,000万円弱なんではないか、と。

姉妹揃って3,000万円に収まっているのも、何か金額のガイドラインが有るのかな、とも読めます。



ティアラという神秘の存在。嗚呼、たまらんです!



そして、皇太子妃、皇后陛下のみは御即位により、お召しになるティアラが変わります。位に応じて2段階のティアラをお召しになるのですね。







皇后陛下の第一ティアラ。(明治18年、独・レオンハード&フィーゲル製)

大粒のダイヤモンドがツノ状にセットされています。星の部分は取り外し可能。



後にかなりセッティングが変更されています。






これは明治天皇妃である昭憲皇太后のティアラを改造したのだと、ネットの記事にありました。写真を拝見する限り、台座が広げられ、フラットな造りになっています。




昭憲皇太后は運動もお得意で、かなり闊達な方だったとか。明治天皇から天狗さんと渾名を付けられていたんですね。

天狗さんのティアラ!

加えて、昭憲皇太后、英照皇太后、香淳皇后と三代に渡り大粒の3連ダイヤモンドのネックレスをお召しになっていたのが、皇后陛下は1連に。この変化も興味深いと思います。



皇后陛下の第二ティアラ。(大正6年製造、およそ500グラム)

頭頂部に菊花があしらわれています。何と上品で控えめなデザイン。皇室所有のティアラの中で一番大好きです。



(お写真右)





蚊取り線香の缶のデザインも彷彿とさせます。何と親しみのあるデザインですこと!




そして、皇后陛下におかれましては第三ティアラもあります。(昭和3年、ミキモト製。パルメットのティアラと呼ばれる)




第三ティアラですが、秩父宮節子さまがお召しになっているお写真が、不鮮明ですが第三ティアラと一致します。

皇后陛下にお贈りになったのでしょうか。









ティアラは下の世代に受け継がれる際にそのままお贈りになったり、必要に応じてリメイクして、時代に合わせたデザインにてお贈りになるそうです。

しかも、このダイヤモンド類は皇室に伝わるたくさんの古い石を組み合わせてセッティングを考えるそう。

それらの石は選りすぐりの物にせよ、カットが古いため面数が少なく、よく言えば大らかな輝きがあるそうで、形も一つづつ違ってイビツな造りだそう。なので、リメイクには細心の注意が払われたらしいです。


そして皇太子妃の第一ティアラ。(大正12年ミキモト製)




もういっちょ。



第一ティアラの名に相応しく、1959年四月十日の結婚の儀にて、お召しになっております。

しかし、少し悲しい事実が。雅子さまのお手元にある、この第一ティアラ。2003年一月一日の新年祝賀の儀以降、公の場にて、一度もお召しになっていないのです、、。

どうしてなんだろう、、。

そして、第二ティアラ。(昭和35年製)外遊の際にもよくお召しになっております。スクエアバゲットダイヤモンドをビッシリと散りばめた、比較的シャープなデザイン。





僕はこの皇太子妃の第二ティアラも好きなのですが、、、。こちらも悲しい事実がありますの。

昔と比べて透明感が違う気がするのです。


気のせいか、輝きが皇后美智子さまの頃より鈍い、と感じるのは僕だけでしょうか、、。幾分透明感に欠け、白っぽい気がします、、。




写真の映りが違うのでしょうかね、、。












ほら、やはり今の方が骨みたいに白っぽくて透明感に欠ける気がしま、、、。(しつこい)





第二ティアラの白っぽい感じと、第一ティアラをお召しにならなくなった事と、と何か関係が、、。

考え過ぎかなぁ。(´・_・`)



いつの日か、、、また皇太子妃殿下が第一ティアラをお召しになる日が来る事を願います。そして、第二ティアラの透明な輝きが戻りますよう。(僕は誰なんだ)


雅子さまがお召しにならないとすれば、次の世代の方への期待が高まります。

そうすると、悠仁さまの未来の奥様、という事になります。あと20年位か、もっと先か。



「悠仁さま、お頑張りあそばせ!!」





女性皇族はいいですよね。ティアラや帽子があって。

男性皇族は地毛しかないもの。皇太子殿下だって、、ほら。





お帽、、、じゃないや、御髪がカチューシャのように横たわり、まるで黒いティアラのよう!

(他意はありません)



あー、僕もなんかティアラが欲しくなっちゃった。


と、いつもの楽天をパラパラ見てますと、、


何と5,000円で売ってた!!







何でこんな物が5,000円で売ってるのか。僕は5,000円貰ってもこんな物作れない。

まあ、、いいや。ポチッと!


僕の第一ティアラ、ゲットです。このモデルさんより絶対ワシの方が似合う自信あるわ。


盛り髪にティアラを装着したりして。ならばいっそ芸者のカツラに第一ティアラを装着したりして。ギャハハ!




思わず、タイのシリキット王妃のお姿が浮かびました。艶々とした漆黒の盛り髪に壮観なデザインのティアラ。

流石のド迫力!!



あー、やっぱバゲットのスクエアダイヤモンド、格好ええなー。どこかに5,000円くらいで売ってねーかなー。




雨の日は普段に輪をかけて下らない事ばっかり考えてます。















皇室シリーズその2 儀装馬車

 
(今回の内容は今までで一番マニアックなので、苦手な方はスルーして下さい)


皇居内、宮内庁の課のひとつである車馬課という部署に、マニア垂涎の歴代の御料車や馬車がゴロゴロと保管されています。車についてはメルセデスグローサー(うちの店のレジの上にある赤いベンツです)、ロールスロイスコーニッシュ、日産プリンスロイヤル、トヨタのセンチュリーロイヤル、、、。全部動くように整備され、磨きあげられているようです。

車については次回また触れますね。



そして今日のテーマ、儀装馬車。


僕は馬車が好きで仕方がない。特この皇室の馬車。伝統的な漆塗りでシンプルな装飾、まさに日本人ならではの美意識に彩られた素敵な乗り物。

馬の調教、餌代やウンコの始末、蹄を傷めないように道路には砂を撒く、、、今時こんな面倒くさい乗り物、、、。


素敵すぎます!



馬車のストックも車馬課にゴロゴロあります。もれなく整備保存され、日々の馬の訓練と共に万全の調整がなされています。

車両部分は全4シリーズ。儀装馬車1号〜4号と、数字が名前になっています。それでは見て参りましょう。

まずは儀装馬車2号2番。(儀装馬車1号は後ほど)

昭和三年(1928)製。宮内省主馬寮工場において作成。
船底型両割幌、溜塗の外装。

重量1100キロ、全長4・23 幅1・91叩々發2.2
6頭立4頭曳の騎馭式(ぎぎょしき)4人乗り。 

人が乗る部分の籠が四本のアーム状のバネに吊るされて車輪の枠に乗せられていますので、車輪の振動が直接伝わらないような構造になっています。見た目より乗り心地は事の他良いそうです。

IMG_1604.JPG

この馬車は現天皇陛下の時代、たった二回しか使用されていません。

まずは有名な現両陛下の御成婚パレード(3:33あたり)

昭和34年4月10日です。このときは6頭立。コース全体の路上に、馬の蹄を守るために砂を撒いて準備したとか。まるでおとぎ話のよう。

(皇太子殿下の婚礼パレードはロールスロイスのコーニッシュのオープンでした。警備上の理由だという事。次の可能性は悠仁さんの婚礼。その頃まで僕の寿命は持つんだろうか・・)

IMG_1610.JPG

次はぐんと飛んで、平成2年11月27日。天皇即位後の伊勢神宮参拝に使われています。このときは2頭立。

和と洋がこんなに合っているショットがあるでしょうか。カッコええわ。

IMG_1605.JPG

この馬車の屋根は取り外せるようになっており、その後に蛇腹式の幌を取り付けるようになっています。素晴らしいです。


儀装馬車3号  昭和3年製 座馭式(ザギョシキ)2頭立。同じく溜塗に金の装飾。


imagesCAK9DE1O.jpg


基本は2号と同じなのですが。御者(運転手)が手綱を持って座る台座があります。赤い布の部分です。




儀装馬車4号 座馭式 2頭立

こちらも2〜3号と同じですが、船底型のボディに金の装飾がありません。
かなりの台数が造られたと思われます。中々シブいぜ。

4号も馭の部分にバリエーションが見られます。座馭式か立馭式、フリンジ付き布の有無。
動画を見る限り、フリンジ付きのものが必ず前を走る辺り、こちらの方が格が上なのでしょうか。



IMG_1589.JPG

写真の通り、4号は頻繁に使われています。

信任状奉呈式という、外国の大使が新たに赴任した時の儀礼のときに、明治生命館前から皇居南車寄せまでの送迎においてです。

宮内庁が大使に「お迎えはお車になさいますか、それとも馬車になさいますか」
と聞くそうなのだけれど、ほとんどの場合は馬車を選ばれるとか。

映像が沢山あります。リンク切れの場合はすいません。映像はドイツ大使のもの。


4号二台並び。
imgad22f9b7zikbzj.jpg



前に二人乗り。
dbe29ddc.jpg



前後に一人ずつ。
IMG_1618.JPG


これはどう見ても後ろに三人乗ってる・・・・。(謎)


20061206_194663.jpg

うーん、奥が深い。御者の搭載人数のルール、形も何が何台あるか御存じの方は教えてください・・・。調べないと眠れないかも。



さて。


儀装馬車1号。昭和三年製、溜塗の外装に、鳳凰を頂いた外観は別格です。横のケースに入った鳳凰が上に載ります。

2号以下と違うのは三枚ガラスの入った窓と屋根の装飾。

5525f8e60c4dc7b67e6e2637954a4ecf.jpg

この馬車が使用されたのはたった一回だけ。

それも、昭和天皇の即位礼(昭和3年)の皇居→東京駅、京都駅→御所の往復のみ!!!
別名を鳳輦(ホウレン)といいます。即位式用の乗り物なんですかね、きっと・・。

にしても勿体ない・・。

こちらも映像が残っています。1:11あたりにちらっと。


僕はこの馬車以外の全シリーズを見たのですが、この1号だけまだ叶わない。皇居の参観にも応募した事があるのですが、どうもコースが違うようで・・。

と、ある日偶然見つけたこの画像!!!


IMG_1616.JPG

浴衣の雪駄を買おうと思ってたまたま見ず知らずの浅草の草履屋さんのブログを読んでいたら、たまたま出てきました。窓が三枚で、屋根の装飾とランタンが外されているけれど、間違いなく1号。

「近所で馬車の修理やってるぉ (*^_^*)」みたいなブログ。浅草の路上で点検か何かでしょうか。

ちくしょう、僕だって見たい・・・。

超貴重なショットでした。



僕のように馬車を見たい方に耳より情報。


僕の執念の調査の結果、非公開の皇居の他にも儀装馬車を見る事が出来る場所がありました!!

明治神宮 宝物館 (夏場は土日祝日のみ開館)
ここには明治天皇の座馭式の鳳輦(ホウレン)があります
imagesCA2ATYBG.jpg



根岸駅近く 馬の博物館 
(儀装馬車4号座馭式)

img_1196035_26053687_22.jpg



明治村内
こちらも4号座馭式(座馭式ばっかだな)

imagesCAL06S0U.jpg



***


あとは弊店に、1号の模型が届きました(爆) 金魚鉢の後ろ辺りに鎮座しています。

ちゃんとドアも開きますし、車輪も回転します。

IMG_1637.JPG

これには目的があります。ただ飾るだけではないのです。

というのも、年末のクリスマスツリーに装着しようと考えています。

天井に針金のレールを付けて、馬車がカウンター上空をシャーッ横切るような不気味なの。

ぶら下げ用になるべくロマンティックで精巧なデザインの馬車の模型を探していたのですが、たまたま今回、儀装馬車づいていた所、ヤフオクで見つけました。なんでもあるのね・・・。
馬車のドアを開けると中からクッキーやチョコが出てくる。はい、プレゼント、みたいな。


出来ればトナカイの精巧な人形とくっつけて、リモコン操作で電動で動くようにしたい。動くときには、食べられる紙吹雪(オブラート?)が舞うようにもしたい。

ケーブルカーの要領で馬車の天井に滑車をつけて、反転モーターで往復運航するように考え中です。ハンドル式の人力でも面白そう。

うん、空も飛べるはず。


不敬罪で逮捕されない事を祈ります、、、。

蜀71BF~1.JPG


おまけ。

馬車先進国イギリスの儀装馬車。

IMG_1607.JPG

1762年、ジョージ3世の頃に造られた馬車。每国王の戴冠式の時にしか使われないそうなのですが、とにかく大きくて重い。車輪が人よりデカい。

建物から出すときには壁を外して分解するとか、重すぎてスピードが全く出ない、などバカバカしいエピソードしかない。



バカバカしくて伝統的で優雅で真面目なモノに目がありません。



皇室は、こういう謎のラインナップの宝庫です。ああ素晴らしき文化の総合デパート。

(皇室シリーズは誤字に気を使うので以上に疲れます。ので車の回はまた今度。)


おしまい


皇室シリーズその1 皇室が好きな理由

 
飲み屋の店主のブログなのに、遂に皇室に触れてしまいました。よいのだろうか・・。


ご存じの方も多いかもしれませんが、皇室が好きでたまらないのです。

右翼思想とか、そういう政治的理由は皆無です。じゃ、なんで好きなのか。


例えて言うならば、懐かしい田舎のおばあちゃんの家に行って、お気に入りの縁側に座って、ぼーっと手入れの行き届いた庭を眺めるような気分

とか、

古い雛人形を並べながら毎年同じ説明を始めるお母さんを眺めつつ、僕としては門外漢の祭ながらもいいな、と感じる春の午後。

連綿と受け継がれ続ける郷土の原風景のような安心感を感じます。


皇室には、昔の日本人がそうであったような自然に敬意を抱いて慎み深く暮らすスタイルが今もガッチリ存在します。

四季に応じての儀式を通じて自然に感謝をし、祈る。「皇室とは祈りの存在である」と言った方がいましたが、その通りだと思います。

慎ましさとは対極にある、対外的な交流のお顔。外交上の公式晩餐会などで目にする、宮殿内にある多くの調度品、明治期から受け継がれるティアラ、宝石、ドレス、着物、膨大な銀食器類、絵画、工芸、美術品。

オーケストラもあれば常に馬も飼っている。その馬が曳く儀装馬車に、鉄道でいえば皇室専用鉄道車両、かつては原宿駅に専用ホームもあった。専用御料牧場に田んぼ、養蚕所、御用邸に離宮、果ては鴨場や鵜飼、鷹匠までも。

質素さも豪華さも伝統も飲み込んだ、まるで巨大な文化のデパートだ。この大きな渦は、多少のお金や権力ではとても維持できるものではない。
僕はこの血統による文化の維持装置、これこそが皇室であり、日本の原風景、と思っている。

特に、回顧主義でアンティーク好きのボクみたいな人間が行きつくところは結局、こういう集合体なんでしょうか。


仮に骨董市でカップを一つ買ったとする。

だんだん銀のポットが欲しくなった。じゃデーブルもナプキンも、となると本当の英国流のレシピでスコーンを焼きたくなる。じゃ、オールドローズを活けようか、薔薇も栽培してみよう、ならハーフティンバーの洋館に住みたい、、、、とキリがない。お金もないし、時間もない。

だからたまにイギリスに旅行に行って古い屋敷のカフェでお茶を頂く。そんな機能が皇室にもあると思う。


皇室はそういった断片的な日本そのものを集めて、一つの集大成の機関だと思っています。多くの人たちのために日本人の根幹を維持して下さってる、いわば文化のバックアップのようだとも言えるかもしれません。(乱暴ですが)

もちろん、そこにいらっしゃる方々の哲学や人格が、それらを裏付けているのです。システムや資金だけではただの贅沢一家になり下がってしまいます。


僕が特にファンなのは昭和天皇と今上天皇、そして美智子皇后。

十分な資質を備えた人格者だと思っています。マザーテレサや、ガンジーに匹敵するんではないでしょうか。

僕なりに、かなり庶民的な(下世話な)切り口で勝手にその魅力を解説したいと思います。今日は天皇陛下。


***


【陛下はマルチプレーヤーのスーパーマンなのです】



学者としても知られ、ハゼの分類学的研究者である。
(自らの研究に関して、28編の論文を同学会誌に発表している。)

インドネシアから依頼を受けて鯉の品種改良をした事がある

琉歌を詠まれる(沖縄の詩)

和歌もたくさん詠まれる

テニスが上手い(最近ではジョージブッシュに二戦二勝)

マージャン、囲碁、将棋が得意

両陛下共に手習として雅楽器を演奏なさる。

加えて西洋音楽、陛下はチェロをお弾きになる。

乗馬、スキー、スケートもなさる。(過去に学習院高等科馬術部主将)

車の運転が上手いらしい

英会話もそこそこいけるらしい(昔、三國連太郎がパーティーで外国人に英語で話しかけられ、困っている所を通訳してくれた青年がいたそうで、よく見ると皇太子殿下だったそう。三國さん、相当ビビッたらしい)


【結構庶民的である】

豆腐、中華料理がお好き。

デーモン閣下の話になった時、「ああ、あの白い顔の・・」とお答えになった。

とある観光地に陛下(当時は皇太子)ご一家がお出ましになり、マスコミは美智子妃殿下と浩宮殿下のツーショットを撮影すべく追いかけました。
あるカメラマンが撮影に夢中になり、そばにいたカメラマンを「おい、邪魔だ」と押しのけてパシャリ。
ふと見ると皇太子殿下がいない。
近くのカメラマンに「おい、お父ちゃんはどこだ?」と聞くと、「お父ちゃんはここですよ」。
振り返るとカメラマンだと思って押しのけたのが実は皇太子殿下で、しかもにこにこと笑っていらっしゃる。恐懼することしきりのカメラマンに対し、皇太子殿下は笑みを崩さず「良い写真が取れたら送ってください」とおっしゃったそうな。


宮中祭祀をしながらの御公務。膨大な書類に目を通し、(年間4万件だったと記憶する)御署名と判を押す。大使の信任状捧呈式、色んなお客さんとの謁見。国体や大会の開会式。合間の視察や海外訪問。

・・・。とにかくこんな人、周りにいません。頭が下がります。


興味のない人はいざ知らず、皇室は多くの人にとってまだまだ精神的支柱なんだろう。震災後の慰問風景など見ていて思うけど、政府要人が言っても罵声をかけられていたけど、両陛下の時は泣いてた人が多かった。

きっと、「皇室に生まれた」事実よりも大きな何かを後で努力して得られたんだと思う。それは人徳だったり、カリスマ性だったり、魂の美しさであったりなんだけど。

そこが僕をとらえて離さないのであります。
こういう人が国家元首なのだから、日本の総理大臣がコロコロ替わるのだろうと思います。先日、英国人と同じような話をしました。コロコロ変わっても、なんとなく大丈夫なのかな、と思ってしまう僕もよくないのだけれど。


次回からももう少し砕けた表現でなお掘り下げるという、不敬な切り口でお送りします。


どうぞいつまでもお元気で。僕の店にも来てほしいです(冗談)





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