今まで恥ずかしくて書いた事のないネタですが、お正月なので自分で分析してみようと思います。
そもそも中学校の頃くらいまでは両方、、つまり女性も好きだったんですね。小学校では葉山敦子さんを、中学では吹奏楽部の若井佳子さんを追いかけ回していました。
今思うと憧れの部分が強かったのかも知れません。葉山さんは知的な、後藤久美子のようなタイプの方で、小学校なのにキャリアウーマンのような横顔。いつも何か考えているような憂いのある横顔でした。若井さんはまるで空を飛ぶように自由にピアノを操る姿に圧倒されていました。
その後年齢を重ねる中でキッチリとゲイになるのですが、その辺りはまた今度。
そんなゲイライフの中で、僕はたくさんのいろんな人に出逢いました。中でも忘れられない人が2人いるのですが、今日はその辺りを書いてみます。
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美しい男 その1
初めて男性に対して「激しい恋心」を抱いたのは、高校2年生の頃。
京都市単位の主催の大きなパレードに大学チームと合同で駆り出された時のことでした。ウチの高校は京都のマーチングバンド界では割と有能でしたので、色んな場面で重宝されておりました。
待機場所となったのは真夏の鴨川の河川敷。葵橋に近い北の方のエリアでした。
ウチの高校が待機していた隣でコラボ相手の大学学生も固まって待機していました。
その輪の中に、特に目立つ男子学生がいました。背が高くて日焼けをして精悍な、高い鼻筋に意志の強そうな目つき。誰が見ても「こりゃモテるだろうな」という風貌です。
「これはヤバい...」と彼を観察します。
手に入れたいとかって俗な欲求ではなく「ああいう風になりたい」という憧れの方が強かったですね。つぶさに彼を観察していると、知的な顔が、仲間の冗談を受けてクシャクシャに顔を歪めて豪快にガハハッと笑う。
まるで山の天気みたいにクルクルと変わる彼の表情に、釘付けになってしまいました。
ふと、彼と目が合います。映画でよくある「出会いのシーン」じゃないけど、背景ボカシで音が止まり、彼の顔がアップでスローモーションに切り替わる。
ありゃ、見つかっちゃった!サッと目を伏せます。
んー、ジロジロみてたのバレたな。恥ずかしい、、。でも見たい。
気まずさを振り切って再び視線を上げて彼の方を見ると、あれ?どこにもいない。
「こんにちは。今日はご苦労さまです!」
僕の後ろから声がした。
彼は僕の両肩をガシッと掴む。振り返るとさっきの彼が後ろに立っています。僕はまるで牧場で毛を刈られる羊みたいにバタバタしています。
それが可笑しかったのか、彼は笑いながら僕の前に向き直り「今日は暑い中どうもありがとう」と改めて礼を伝えてきた。低めの声の、いかにも育ちの良さそうな誠実な話し方は標準語だった。どこか関東辺りからこちらに学びに来たんだろうか。
彼は真顔で僕の目をじっと覗き込む。少し茶色い瞳と、赤銅色に焼けた彼の顔が目の前に迫る。
今でも昨日のことのように思い出すんだけど、彼の表情はどこを切り取っても完璧に美しいんです。まるで絵画のよう。
ただ美しいだけでなく、強さと強い意志に貫かれている。カラヴァッジオの絵画を連続で見ているかのような。
そして彼は僕に「カッコいいよね、モテるでしょ?」と言った。
そりゃアンタだろうよ、と今ならツッコミを入れるところですが、その時は固まってしまって、何が何だか分からない。
ただ、僕に対して特別な好意があることは伝わって来た。
お互いに何らかの好意がある事が分かると、雪だるま式に気持ちが膨らむのは世の常です。彼の眼差しに高揚した僕は、普段ならできない大胆な発言をした。
「カッコよくなんかないです。でも、いつかあなたみたいになりたい」
彼はフフン、と笑って大きな手でを僕の頭の上に載せ、髪をクシャクシャと掴んでまた話した。
その瞬間、集合の号令がかかった。
「後で、またな」
彼はもう一度僕の目を見ると、軽く微笑みかけながら元の輪へと戻って行きました。
キャー!!キャー!!
、、その後のパレードの事は何も覚えていません。あの人はどういう人なんだろう。いつかあの人と並んで街を歩けたらどんなに楽しいだろうな。もし一緒に飯でも食えたら。
普段着はどんなだろうか、大学ではどんな勉強をしてるんだろうか。
真夏の市内を、一団は演奏しながらグングン進みます。僕の思考は既に彼に支配されていて、フワフワと演奏しながら自動操縦で歩いています。
演奏が終わり、元の集合場所へと戻りました。この後全体で顔合わせのようなモノがあるのかと思いきや、割と売れっ子だった僕の高校はすぐ後に別の出番が待っていました。非情にもすぐに搬出のトラックが横付けしてきていて、作業をせねばなりません。
薄暗い河川敷で目を凝らしても彼の姿はおろか、大学チームの姿は見つけられません。別の場所に移動してるんだろうか。
後ろ髪を引かれつつ、会場を後にしました。
その後、寝ても覚めても彼のことが頭から離れません。僕の頭を犬みたいにクシャクシャまれた感触が今も鮮明に残っています。
今の時代なら大学ホームページから検索して名前を割り出し、アップされた画像を集めるなんて5分もあれば出来るけど、当時は状況が違います。
「大学側に問い合わせ」するか、「定期演奏会を見に行く」「大学校門で待ち伏せ」それくらいしかなかったんです。
じゃ、会えたとして僕は何と切り出せば良い?
わざわざ待ち伏せて「あの時はありがとうございました!」と言うには余りにも理由が少なすぎる。手も足も出ませんわな。
これを書いてる現在の僕なら、理由をつけてハンカチでも渡しとけば会う理由になったのに、などと悪知恵が20個くらいは浮かぶんだけど、当時の無垢な僕にはそんなスキルや図々しさがあるはずもなく、、。
あれから31年が過ぎ、彼は今どこでどうしているんでしょうね。もしもあの時、パレード後に話でもしていたら、仮に連絡先を交換していたら。
もしかして、接点がなかったからこそ今でも忘れずに思い出として残っているのかも知れませんね。簡単には触れることの許されない、貴重な宝物のように。
あの夏の日、ほんの数分の出来事でしたが、精悍な彼の眼差しは今も変わらず真夏の太陽のように僕の心の片隅に輝いています。
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美しい男 2人目
22歳位の頃に少し年上のと出逢い、大恋愛をして運良く付き合えたんですね。春ごろに結ばれ、夏休みが取れたら2人で大阪から東京までドライブしよう!という事に。
そりゃ恋愛で一番燃えている頃ですからね、生きるの死ぬの、大変なわけですよ。喧嘩もしつつ、お互いに惚れ抜きましたとも。
美しい男はその彼ではないんです。
大阪から車を交互に運転し、名古屋、静岡と抜ける日程の中で富士登山を予定していました。
富士山には車でいける「スバルライン」にて登山口駐車場まで向かい、登山準備をしていました。
ところが急な悪天候のため登山中止の勧告が出てしまいました。バケツをひっくり返したような雨の中で彼氏と2人、明日の予定なぞ話していたら車の窓ガラスをノックする音が。
窓を開けると茶色の防水仕様の登山着を着てパーカーを被った青年がズブ濡れで立っています。
「すみません、今夜泊めてもらえませんか?眠るところがなくて」と。
顔を見ると、まあビックリですよ。生まれてこのかた沢山の人を見ましたが、この時の彼が現在含めても一番ハンサムでしたね。
今僕がタイプの顔は?と聞かれたらこう答えるようにしています。「古代ギリシャの名もなき勇敢な戦士」と。
これは実はこの時の彼なんですよ。フルフェイスの無精髭で、目は真っ黒で艶やか。頬骨や鼻筋は美しく整っており、黒く整った眉は芸術品のよう。孤高の野犬のような哀しみのような雰囲気を纏っていました。
美しい顔と男臭い表情が見事に両立した、今まで見たことのない、美しい男。
僕は当時の彼と目を合わせ、後で分かるのですが2人は同時に同じことを考えていました。
「コイツ、なんちゅー男前だ!」
流石に大恋愛中の2人の車に泊めるわけにもいかず、手狭な車中である旨をお伝えして丁寧にお断りしましたが、あれは何だったんだろう、と今でも思い出します。
2年ほど前に当時の彼氏と飯を食ったんですが、その時も「嵐の中の青年」の話になりました。あの時の彼、イケメンだったよな。俺多分ゲイだと思うよ、と。
そうか、ゲイっぽい僕ら2人の車になら泊めてもらえると考えたのかのかも、と。
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今の時代はネットが発達し、ゲイの間にもかつてないコミュニティが確立しています。
尋ね人の掲示板もあるし、アプリはもちろん仲間内の情報でも出逢いが簡単に手に入り、望めば相手を追跡できるようになりました。
オジさんが思うのはですね、上に書いたような「思い通りにならない刹那」みたいなのが後に情緒を伴い、いい思い出となるのも悪くないんだよな、と。
たまに、胸の奥底から思い出の入った小箱を取り出して開く。そうすると昔の強烈な思い出が拡がって、極端な話それだけでも満たされるんです。
上手くいかなかったからこそ、よく覚えています。マーチングバンドの下りなんて何千回脳内再生したかわかならい。
そんなの結果論だし、あんまり役に立たない、と言われればそれまでなんだけどw
生き別れの初恋。悲恋といえども共通の知り合いなどがいないからこそ、清いままキープされたのかと思えば逆に良かったのかもね。
「〇〇って人カッコいいよね!」
「あー、あいつ顔いいけど遊び人らしいよ」
「なーんだ、じゃやめておこう」
となってた可能性もあるじゃないですか。それじゃ恋も始まらなければ、砂を噛むような思いもしない。若いうちの恋というのは出会い頭の交通事故みたいな不条理な方が後々で美味しいんじゃないか。
今若いお客さんからよく聞く悩みというのか、「彼氏ができない」に加えて「情熱的に人を好きになれない」という辺りなんですよ。
特にアプリが若者のpureな心を砕いているんだと思うのです。お客さんの話を聞いているとまるでAmazonでTシャツを買うような感覚でアプリ開いてる人もいますよね。
きっと、大量の商品の中からTシャツを選んでて、母集団が多過ぎて食傷気味になってるんじゃないかな。ずっと見てると同じに見えてくるもん。
僕は恥がない性格なので、気になったTシャツを来た人を街で見かけたら「そのTシャツどこで買いましたか?」と聞いた事何度もありますよ(笑)
アプリの悪い所は他にもたくさん。いざ会ってみる段となれ、100点満点から減点方式でしょ。写真と違うと裏切られ、声を聞いて裏切られ、飯の食い方に裏切られ。
恋愛って、絶対に減点方式ではダメなんですよ。相手なんて見つからない上に長く続かないですよ。これは断言します。
それなら最初からリアルがお勧め。リアルからスタートすれば、最初55点だったのが、うまくいけば88点くらいにアップするかも知れない。恋愛に大切なのは良いところを見つけてどんどん虜になる、それの一択ではないでしょうかね。
そして、上手くいかなくて悩む時のドキドキやしおらしさ、それが人の心に火をつけて、更なる大恋愛に育てるのではないだろうか。毎度諦めてまたアプリを開いて、、新しい人と同じ繰り返しをするのは本当に効率的な作業なんだろうか。
便利さと引き換えに、大切なモノを奪われているとしたら、何のための便利な道具なのか。
僕はテクノロジーの発達には感謝してるけど、間違いなく言えるのは、かつての思春期から青年期にかけてがネット黎明期で良かったな、と言う点です。移り気な僕なら、上手くいかなくなったら即、向き合うのをやめて速攻でアプリ開くだろうな。それじゃどんどん恥じらいがなくなって、スレっからしになっちゃいますよ。たまにいるよね、そーいう若い人。
共感してくれた方はアプリもいいけど、併用しつつBARや盛場に出かけて恋愛わ見つけてみましょう。
と、結局は宣伝かよ!と言われそうですが、本心からそう思っています。
新年からのご清聴、誠にありがとうございました(笑)