風立ちぬ、を観てきました
ブザーだのスイッチだの、長いのを書いた後、うっかり二度寝してしまい、起きたら日付が変わっていました・・。
結果、サボってしまいました。すみませんでした。目覚ましも気づかなかった。今後、気を付けます。
ちょっとまだ疲れが抜けません、って言い訳はやめます。言い訳すら思いつかない「二度寝」の持つシンプルさ。
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話を替えましょう。
ジブリ映画、風立ちぬを観てきました。
あんまりブログに何かの感想を書いたことがないんだけど、あまりに思うところがあったので。
この話題にご興味のない方、見ていない方は申し訳ないのですがスルーしてください。ネタバレはありませんが不愉快になるかも。
感想は、、んー。。。。
着想もストーリーも絵も悪くないのです。なのに。
見ていない方もいらっしゃるので内容は触れませんが、今回思ったのは声優の技量、そこだけ
。はっきり言って主役の方がドへたくそです。言語に絶する位の棒読み。
アニメーターの方(監督だったっけ)が主役だったらしいのですが、金返してほしい。もしくはもう一つ違う声バージョンを作ってほしい。
ほかの部分は総じてよかった。独特の持ち味である映像の世界観も活き、一貫した主張もあるし、比較的筋も通っていた。声優たった一人の技量で、全体の98%を破壊できるとはちょっとすごい。
主役のキャラは少し殻にこもった感じのある、夢想家気質の飛行機設計技師という役回り。映画の中で度々、壮大な妄想シーンが挿入されることからもその性格が解る。
声優嫌いの宮崎監督、素人のボクトツとした雰囲気を狙って起用したとのことなんですが、僕には彼の演技が下手過ぎて、最後まで全く感情移入出来なかった。
「となりのトトロ」のお父さん役、糸井重里さんの起用のそれとはまったく違う。今回彼は全般に渡って出ずっぱりで、しかも後半はかなり恋愛シーンが多い。
完全に棒読みで抑揚はゼロに等しい。間も悪い。滑舌も良くない。電話で愛想のない疲れたオッサンが用件のみをボソボソ話している感じに近い。
物語に引き込まれるたびに裏切られ、現実に引き戻される。身近にこんな巧妙なストレスがあるだろうか。
日本舞踊でも、ミュージカルでも同じことだと思うのですがね、「純朴なキャラクター」を演じるときに、それ相応の技術を持った人が計算し、コントロールしながら敢えての純朴さを演じているのだと思うのです。それこそが舞台上では自然なわけで。
舞台に乗るからこそ、強めの抑揚や間合いが、丁度よかったりすることも多いと思うの。それが日常生活では不自然であっても。
逆に、本当に素が純朴な人を連れてきて、衣装を着せて舞台に立たせても純朴には見えないのではないか。それがカメオならまだしも、出ずっぱりの超主役がそうでは困る。
日常と舞台。両方の世界には何かしらの境界線があり、そこには別個の共通言語が存在するのだと思う。そこを混同するべきではない。
因みに、僕はこましゃくれた子役が大嫌いなのです。独特の明瞭な発音と気持ち悪い抑揚。
許されるなら、大人の役者が徹底的に演劇的技巧を駆使して、子どもの役に成りすましたほうが時には自然に見える、それが演劇性だと僕は思っている。(映画やドラマじゃそうはいかないだろうけど)
お婆さん役でも、着ぐるみの馬の役でも同じ、芝居は時に、本物を超える瞬間があるから楽しい。そう信じています。
今回のジブリ新作が「型破り」な配役なのかもしれないけれど、「型があってそれを破るから型破りなんだよ」と故勘三郎氏がコメントしていたのを思い出した。まさにその通りだと思います。
別にイライラはしていませんよ、ただ、モヤモヤしています。どうしてあれだけのものを作って、一番総仕上げにあの声を乗せるのか。
作画スタッフを初め、あれじゃ浮かばれない。可哀想だよ。とはいえ、本筋そのものは良かったただけに、誠に残念でありました。
ネットを引くと、主役の声優さんが良かった、という声も多かったです。一意見ということで。
おしまい
- 2013.08.08 Thursday
- 雑記
- 03:37
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- by シンスケ