僕が初めて一人暮らしを始めたのは22歳。周りが一人暮らしを始める中でどうしてもワンマンライフを実現してみたかっただけなんだけど。
選んだ場所は京都、北白川。京都大学のキャンパスの北側に広がる高級住宅地で、緩やかな坂道に並木の道路があったり、教会やケーキ屋さん、舶来のスーパーもある。
京大のグラウンドのすぐそばには森があって、琵琶湖の疏水が小川となって流れている。
いっぺんで気に入って、お家を探したんですけれども・・・。
なんせ、予算が・・・。
家賃12000円、アパート。その名も紫苑荘201号。3畳キッチンにリビング4,5畳。お風呂はなしです。
トイレが部屋にあるんだけれど、後でベランダに付けたらしく、空中に浮かんでいる。榎本の家の空中トイレといえば仲間内ではちょっと有名だったんですよね。w
でも、何だかとても気持ちの良い街だし、アパートもとても静かで日当たりが良い。南向きなんだけれど、自分の部屋の南側だけ建物が谷間になっていて、光が入ってくる。これは本当に気持ちがよかった。
自分でトラックを運転して友人と引越し完了。気持ちの良い秋の土曜日。
さて、引っ越しも終わって、飯も食わずに家具を並べる。最初に本棚。この日の為に無理をして買ったアンティークの小さな本棚に、頭のよさそうな順に小説を並べる。本棚の上には小さなスタンドと植木。ああ、なんて楽しいんだろうか。(その本棚は今、店の入り口の横に貼り付いています・・・)
初日はまあ、そんな感じ。朝まで家具を動かしたり、いろんな角度から部屋を観察して、肝心のライフラインの開栓とか、必需品の買い出しは置き去りだった。まあ、今でも毎回そうなんだけど。
翌日。茫然となる。何をするにも物がない。何にもない。
まず洗濯しようにも洗剤がない。っていうか物干し棹がない。洗濯機もない。洗濯機置き場がそもそもない。
万事がそんな調子。本棚なんてなくたって死なないけど、洗濯は困る。その前にお風呂もない・・。
ちょっと近所を探検しよう、といざ出かけました。
何と!!自分の家のワンブロックの中に定食屋さん、コインランドリー、床屋、銭湯、和菓子屋、うどん屋、喫茶店が2件もある。隣のブロックには元米屋と思しきかなりレトロなスーパーが・・。
さすがの学生街。しかも何だか活気がある。
ちょ、余裕じゃん!と一瞬でシングルライフはバラ色に。
しかも、奇妙な喫茶店があります。ホワイトハウス・・・。お化け屋敷みたい。
家のちょうど裏です。そうそう、例の南向きの日が当たる、その窪みの部分。
当時はそこまで汚い飲食店や洋食に関心がなかったので、僕にとってはなんの感慨もありませんでした。
半年くらい忘れていたんですよね。しかしそれが僕の未来を変えるとは思っても見なかった。
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ある日、どうにもこうにも自炊が面倒だったので、部屋着のままサンダル履いて近所に何か食べに行こうと思ったか、そんな失礼な理由だと思う。
この前を通ったらとてつもなくいい匂いがしたので、超、が付くほど勇気を出して入ってみたのさ。
写真撮らせてもらったのと、ネットで拾ったのがあるので、併せてご紹介します。
ドアを開けると・・・
いきなりこれ。参ります。
店内。
レジ。はい、うちが真似しました。
南向きのレースのカーテン越しに柔らかな午後の光が差しこんでいます。沢山の観葉植物と、大型スピーカーからは優しいヴォリュームで、クラシックの音楽。
バターと卵の焼ける匂い、ドミグラスソースの匂い。そういやうちのベランダからも香りがしていた。
反面、お客さんはたまにしか見た事ありませんでした。
入り口そばのテーブル。
店内は昼間でも暗かったです。
特に夏場は最高でした。風が中庭から気持ちいい。
床のモザイクタイル。
かなりのカルチャーショック。家の裏に完璧な「安らぎ」があるんですもの。
おじいちゃんとおばあさんが真っ白な白衣を着て、お二人で営業なさっている。御想像通り、とてつもなく優しい良い人。
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それからというもの。完全にハマりました。こんなに通ったお店はないくらい。
メニューはいわゆる洋食屋さん。オムライス、カレー、トルコライス、カツレツ・・。
どれも美味しい。誠実な味とでも言うのか。
当時、極貧でたしか給料が13万くらいだったか。携帯も持ち始めたのでとても優雅に洋食、というわけにはいかなかったけれど、それでもなんとか工面して通っていた。
500円の一番安いプレートで、お冷をお替りしながら長く居させてもらっていた。
店の奥には中庭があって、小さな池がありました。珍しい蘭とか、高山植物が寄せ植えしてありました。
時間が止まったような温かい日差し。
ここを天国と云わずして何というか。
余りに僕が通うので「跡継いでくれたらうれしいなぁ」と言われるまでに。僕もまんざら悪い気がしないでもなかった。
というのも、当時僕はアパレルに勤めていて、いわゆる販売員だったんだけれど、あまりの流行に対する学習量の多さと、店員が毎日着る洋服の見栄の張り合いに、半分おかしくなっていた。
どういう経緯かは忘れたけど、丸刈りに刈られて土下座したこともある。絶対的に従わないといけない、しかも辞められない。そんな生き地獄のような職場だった。
どうして辞められないか、というと、ある人の御紹介で入れて貰ったような成り行きだったので迷惑がかかる、どうやってでも3年は我慢しろと言われていた。
そんな中で、このカフェに来て自分を見つめ直すのが日課になっていたのかもしれない。流行や見栄とは無縁なこの空間と老夫婦に、心も体も預けていた。
家でもカフェの「安らぎ」を求めて真似してみた。
同じアンティークのシェードを探して買ったり。(これもまだ僕の寝室で使っています)
今の店のレジも。絶対に同じものにしようとこの頃から決めていたんですよね。
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しかし、お店が忙しくなったせいで、中々カフェに来られない日が続いた。そのうち友人もどんどん増え、ライフスタイルも変わってしまったのかもしれない。
ううん、本当のところはですね、そのアパレルの見栄の張り合いがちょっと快感に変わった、とでも言うのか、お洒落して街に繰り出す事が多くなったんですね。
で、だんだん行かなくなってしまったんです。
程なく、仕事を変わることになって(目出度く三年の年季奉公明けです)今度は五条の宮川町という花柳界バリバリの、これまた渋い所に引っ越すことになって、バタバタのままこの街を去りました。
いつも「ホワイトハウス」の事は思い出すんだけれどね・・。
そこで働き始めて、東京に遊びに行くようになり、なんだか東京に熱病のように憧れるようになってしまった。若気の至りでちょっと人が変ったのかもしれない。
その後、お決まりの上京。結局最後まで「ホワイトハウス」へ挨拶に行けなかった。
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上京して2年くらいたったある日、実家に帰ろうっていう事になり、やっと挨拶に行ける!!と、京都駅からタクシーを飛ばして向かいました。
タクシーに乗れるようになった自分。まるで錦を飾って凱旋パレードをしているような誇らしさと、あの苦しい時に頂いた味が食べたい、そんな気持ちで。
懐かしい並木を潜って高原通りから左折、到着。
しかしそこはすでに更地になっていました。
・・・。後悔ってこういうことなんでしょうか。あんなに近かったのに。
さすがに店の前で泣いてしまいました。トホホ・・・。
マスター。もう一目お会いしたかったな。継いでくれって言われて、本当に僕は生きた心地がしたんですよ。
なんせ、職場じゃ毎日ずーっと怒られていたから。
更に今回の帰省では、家が建っていました。さすがにもう今後は行くことはないだろうけれど。
また、古い写真が出てきました。
もう、写真を見ても自分があの店にいたとは信じられないくらい、記憶が遠くにあります。
一回だけ行ったことのある料理屋さんとか、内装や椅子の記事の模様までよく覚えているのに、このカフェは思い出せない。
きっと、いつでも来られると思っていたから集中していなかったのか。
かけがえのない空気だったんだな、と今更思うわけで。
しかしこの時も目が吊り上がっています。いやしかし頑張った、オレ!
(確かこの後このロングヘアが無残な丸刈りに・・・)
いつかこんな店がしたい。心から安らかな店でした。
いや、今は「安らかになれる店」が出来るように、かな。
おしまい