本日日曜日、お休みします。
急な事で申し訳ありませんが、本日、所要が長引いてしまいまして、お店をお休みさせていただきます。
明日月曜からは通常通り8時からオープンします。
ちょっと先ですが、GWも水曜日以外は毎日営業します。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
店主
- 2013.04.21 Sunday
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- by シンスケ
急な事で申し訳ありませんが、本日、所要が長引いてしまいまして、お店をお休みさせていただきます。
明日月曜からは通常通り8時からオープンします。
ちょっと先ですが、GWも水曜日以外は毎日営業します。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
店主
前回のブログの続き。
ものすごい面倒くさい文章なので、バカバカしいのがお好きな方は飛ばして下さいね。
出勤前とかに携帯で読まれている方も、具合悪くなるかもw
***
京都風にいうのなら「察しておくれやす」。つまり、張り紙を貼ったりいちいち説明したりしていないけれど、どうかこちらの思いをそちらさまで感じて、予想してください、というもの。
悪く言えば、「いちいち言わせんなよ」だろうか。すごく悪い響き。汗
それはお店のお客さまのチョイスにおいても、自分のセクシャリティにおいても共通の認識でした。
いままでブログでも書いていない事がいっぱいありました。今後も書くつもりのなかった内容。
つまりは僕はゲイで、同じくゲイのお客さんが大半を占めているという事。
そして、僕はこのデジタルの世の中に、昔あったような古風なゲイバーをしたいと思っているという事。
ふう、スッキリした。
実はここのブログを読んで下さっている中に、僕の家族も含まれます。伴侶の家族もいます。だから、あえて書かなかったし、書く必要もなかった。
ちょっと、今日の日記はそれを書かないとこんがらがるので、敢えて書いてみた。
今までは文字通り、「察しておくれやす」なのです。
けど、それが混乱を生む場合、やはりはっきり言わないといけない時もあるのかもしれない。
昨日、ブログに書いたような内容の話がたまたま今日、常連さんとのお話に登りました。どういう基準でお客を選んでいるのか、ということ。
その会話の中で、僕はやはり、自分の基準でお客さんを選んでいるという話をした。勿論大半はゲイの方で、少数の女性も含まれる。その基準は僕にしか分からないもので、説明できないし不公平だけれど、察して欲しい、と。
それに対してある方が仰った。「大切な友人を好きなバーに連れて行きたいと思うのはいけないのか、現に女性は来ているのに、僕の友人はだめなのか。判るように数値化してほしい」と問われた。
そのお客さんは、前に女性を連れて着ていらしたんだけれど、僕が少し苦手だったのでその事をお話したときにそういう会話になりました。
これには正直、うまく反論出来なかった。
今までの説明だと、「僕の友人の女性はOK」と一律答えるようにしていた。これはとても正確で、曖昧な、逃げ場のある回答と言える。
ただ、やはり数値化出来ない。「ちょっと友達なら?」とか、「そもそも友達ってなに?」と、どうやっても白と黒の間の部分が生ずる。
この話はちょいと後で。
***
そもそも。どうして女性を限定する動きになったのか、そこから順序立てて説明しないといけない。
元々バーを始めた時は、ゲイバーだなんて思っても見なかった。寧ろ、ゲイバーなんて男子一生の仕事ではない、と勝手にゲイバーとカテゴライズされることを頑なに拒否していた。
当然、お店は男女、老若男女入り乱れての営業。でも、ゲイの人は7割超えていたかな。
ただ、5年ほど過ぎた頃からだろうか。自分の中に使命感というのか、不思議な感覚が芽生えるようになった。「実は味のある、素敵な仕事じゃないんだろうか、ゲイバーって。」というようなもの。
同じくして、インターネットや携帯アプリで男性同士が出会えるようなシステムが、この近所の、ある意味でいう世の中を席巻しだしていた。近所の飲み屋は、そのデジタル化によって失った売上を埋めるために積極的に一見さんや女性、団体を受け入れ始めた。それは当然の流れといえようか。
それどころか、店主のゲイキャラクター、ひどい場合はお客さんを売り物にして、暇な主婦連中や冷やかしのようないわゆる「観光客」から商売をしていた店もあった。
僕の例で判り易く言えば。個人的に飲みに行く店のドアを開けた瞬間、カウンターに女性の団体が居て、店主がすかさず「はい、ゲイの子来たよー、お待たせ!みんな質問どうぞ」といわれた事があった。
僕はどんなに人と放すことに餓えても、こんな状況は御免蒙りたいところだが、背に腹は代えられないのか。
これが理由じゃないにしろ、実際、似たようなことは起こっており、少なくないゲイバーから人が離れて行った。多くのお客さんに惨状を聞いたし、極端ではあるけれど、これは紛れもない事実だと思う。
この一連の流れ、どんなに生活の為だとは言え、僕の目から見れば明らかに、今までのお客さんへの裏切り行為で、育てたものを一瞬で破壊する行為に他ならないと思う。
この辺りから、ちゃんとしたゲイバーが新宿にないと、なんとなくダメなんじゃないかな、と思うようになった。損得や見栄ではなく、ちょっと引き合いに出すのは失礼だけれど伝統工芸や古典演劇継承者に似た想いなのかもしれない。
「こんな素晴らしいものを僕の時代で廃れさせるのはあまりにも忍びない」・・・そんな感じ。
確かに使命感は感じた。
そこで。
次に、ゲイバーの条件とは?という部分にブチ当たる。
まずは僕がゲイであるという事。ゲイが多い客層(というかゲイオンリーまで幅は色々)。
まあこれは基本。別にメニューが何とか、会話がどうとか、そんなのは何でもいい。
次に起こる問題は、女性との兼ね合い。つまり、共存できるのか、させるのか、という問題。
なかなかゲイというのはいろんな人種がいて、女性と仲の良い女性的な男性、女性と仲がいいけれどとても男らしい男性、女性アレルギーさながら女性を嫌う半面、とても女性的な男性(笑)、女性との・・・。もう、数えきれない。
平たく言うと、女性ともワイワイ飲めるゲイもいれば、普段ゲイであることを色んな事情で隠して生きている方が、プライベートくらいはお仲間とだけ打ち解けたい、そういう人もいるという事。
多数決でも決められないし、傷つきやすい人からの意見を採用しても、結局はみんなの幸福には結び付かない。民主主義や多様性ってそういうものだと思う。
では判断は何処にゆだねるか、それは店主であるシンスケの裁量にかかってくる。
話を女性に戻します。
僕にとっては女性との共存がいちばん難題なわけで、実を言うと居ると必ずダメか、というと、決してそうでもない。
特にうちに限って言えば、厳選されたナイスなキャラのいい女が少しの割合で混じっていると、とても流れがスムーズだったりもする。これは経験談。
(スイカに塩をかけたら甘く感じる、のと似てるかも。うう、違うかな・・・。)
あとは、素敵な演奏家やソプラノ、アルト、お友達の芸者さん。これも女性に限られる。皆さん素敵な人達です。だから是非、いらしてほしいとも思う。
僕と気の合う女性が少し、居て下されば嬉しい、そんな所だろうか。
ただそれは明文化できないし、説明つかないので、結局は「察しておくれやす」に辿り着く。
僕が選びますから、そのかわり責任とりますから、ちょっとは女性OKですよ。って感じです。
っていうのが昨日までの話。
でも、なんかね、ちょっと疲れました。
「数値化して掲げないとわからないよ」、というセリフが僕のボディーにかなり効いた。それは全く、正論だったからなんですよ。
この先、さらに矛盾が続くような気がする。矛盾は絶対によくない。
矛盾が許されるとしたら、僕がカリスマ的な何かを手にした時なのかもしれないけど、そんなものは今は皆無なわけで。
「あなたは他の女性と違って嫌合わないと思う」今までは言えたけど、この先、そんな事を言い続ける強さもない。少なくとも今夜に限っては。
あれ、俺って凄く面倒くさいこと書いてるよね・・。もうちょいで切り上げます。すいません。
なんかね、前はモヤモヤした暗黙のルールを割と説明できていたんだけれど、矛盾を突かれて、はっきり言って頑張ってたのが面倒臭くなってきたの。人を断るのも疲れたし、正直もう傷付きたくない。
かといって、僕のこだわりは一生、消えることない。と思う。これが問題なんだけれど。
狭いけどこだわりのある、音楽の溢れる店。
優しいお客さんが集っていて、当然そんな店は女性受けがいい。だけど女性は気に入った人しか入れない。1グループ四人以下しか入れなくて・・・
矛盾だらけのお店。
ようするにフン詰まりです。汚いけど、一番今を表している。
曜日で分けるとか、色々策はあると思う。でも、あんまり無粋なことはしたくない。もしかして土曜日にゲイオンリーにして、そこにレディーガガが来たら喜んで入れてしまうかもしれない。
僕はそういう人間なのです。そういう予測が考えられる以上、無理な約束はしないべきだし。
どーしたらいいんだろうねぇ・・。とまあ、心の襞を吐露するために、順序立てて自分がゲイだって事から書いてみました。読んでて悲しい思いになられた血縁の方がいらしたら、ごめんなさい。
どうしても避けては通れない道なのです。
うー、どーしよ。
とりあえず寝てみます。
今日はウニを食べる気もしない。
おやすみなさい。
銀座の歌舞伎座新装オープン、初日に早速行って参りました!
約三年振りの歌舞伎座。
サヨナラ公演にもお邪魔させて戴いたんですが、もうあれから三年。
本当に月日のたつのは早いですね。
石の上にも三年、といいますけれど、この三年は本当に早かった。石の上にちょいと腰かけているような感覚の早さ。
高校時代の三年間と比べると倍かそれ以上の感覚。
こんなペースだと、すぐにジイさんになってしまいます。それは非常に困る。
現に、その間に勘三郎さんや團十郎さんが鬼籍に入られた。サヨナラ公演で観たのが奇しくもこのお二人の助六。二人の掛け合いがつい最近の事のようです。
あの時は歌舞伎座なんて遠い将来に完成するくらいにしか思ってなかったし、ましてお亡くなりになるなんて思っても見なかった。
いつも思います。「強く、濃く生きたい」 ・・・トホホ。
勘三郎さん、最後に見た、「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべ さとのえいざめ)
享保年間の吉原、アバタ(顔にブツブツ)の人のよい地方の商人が絶世の美女の花魁に惚れてしまう悲恋の物語なんだけれど、このとき幸運にも一番前の中央で観させて頂いた。
これが、僕にとって一番印象深い観劇体験となります。
勘三郎が話の架橋、叶わぬ恋に泣きながら大立ち回りをする。
泣きながら凄い迫力で大暴れするのだが、本当に泣いていらっしゃる。それも鼻水大洪水の号泣。あまりに激しく、美しいので僕もつられてビービー泣いてしまっていた。
息子の勘太郎は、旦那の若番頭役なんだけれど、これが忠実な役柄で、これまたお父さんよりもっと泣いていた。全く凄い親子。役者ってこういう生き物なんだろうか。
・・・そのとき、舞台の泣いている勘三郎とバッチリ目が合ってしまった。
「目が合った気がした」なんてレベルじゃない。超高性能のライフルで打ち抜かれるように、ガツンと目があった。
動物の勘というのだろう。、人と真っ向から対峙して、まるで広い世の中に二人きりになるような違和感と動揺が、鳥肌と共に襲ってきた瞬間を今も忘れられない。
あの瞬間のあの感じは、何とも説明し難い。
「人たらし」、という言葉が当てはまるとしたらまさに彼だと思う。観客を物語の世界に引きずり込み、モノも云わずして人を酔わせ、惚れさせ、更には泣かせて熱狂させて。
僕が放心状態で硬直していると、数十秒後にまた目があった。今度は長く、さらに強かった。
泣きはらした目で恨みを込めて、睨みつけられたようでもあった。
ただ二人きり、はるか江戸の悲しい物語を共有しているように(少なくとも僕は)感じた。
木の音と共に定幕が閉った頃、腰が抜けてました。
終わった後、お隣の方が
「(勘三郎と)眼があってましたねw」と僕に仰った。
帰り道、また一人で泣いた。
***
普段、どんな芝居も客観視する癖が付いていて、ストーリーに100%入れることは稀だった。
、舞台と同じくらいに照明や演出、他の客の空気感(圧倒されて息を飲む感じ)が気になってしまう。映画、テレビ育ちの性なんだろうか。
良い舞台、といっても、「展開が奇抜で痛快」とか「演出が僕の大好きな雰囲気」程度の感想だった。
しかしこの籠釣瓶の時は100はおろか、一気に3000%くらい集中してしまった。もはや催眠術とか憑依の類い。
「役者と目があった、嬉しい!」ってことが云いたいんじゃない。生まれて初めて、ドップリと芝居に集中できた充実感なのだ。芝居不感症の僕が。
芝居狂いの気持ちが判った気がした。これが芝居の中に入り込む、ということなのか。
この体験が貴重すぎて、しかも初体験だったので、その後勘三郎さんの舞台に一度も行くことが出来なかった。最後の日まで。
なんで?と思われるかもしれないが、僕はそういう性格なのだ。
素敵な内装、大好物の味、全てが僕好みのレトロな洋食屋さんを見つけてしまい、行きたいのは山々、楽しみ過ぎていつかの御褒美に取っておいたんだけれど、不意に廃業のニュースを聞いた、そんな感じだろうか。
訃報を聞いて、後悔とともにこれからは御褒美は最初に頂こう、そんな決意をしました。
前置きはこんな感じにして。
今日に続き荒れ模様のお天気だったのですが、東銀座の駅から直結で、濡れずに入れるようです。
東銀座駅の歌舞伎座出口。
歌舞伎〇〇、といった同じ味の土産物ばっか。見もしなかった。
なんで最近のってこんな無難なデザインばっかりなんだろう。いま、日本中の新しい建造物がこういう味気ないデザインに統一されようとしている。
安くてよく見える典型なんだろう。
これなら歌舞伎座の使い古した御殿のセットでも組んで、販売員に矢絣でも着せた方がよっぽど名所になるのに。
入口。ほんと変わってなくてよかった。
中の写真はニュースでやっているとおり、天井が高くてとてもきれいです。音が拡散するのか、前より少し小さい気がしました。
画像はブレていたので割愛しますね。
一階席、今日はババさまのお着物の質が違う!それに皆さん薬指には大粒の石がはまっている。流石にいつもの雰囲気とは違った、なんとも華やかな感じです。
僕は、この言葉にならない華やいだ雰囲気が大好きです。
今日は桟敷に芸妓の総見がいらっしゃっていました。
写真右は、お客の新橋芸者、七重姐さんと。お店で三味線弾いて下さっているところを観た方もいるかもしれません。
たまたま昨日も盛り上がって夜中の2時まで喋ってましたw
しかし、後ろのお姐さん方、並んじゃってなんかCGみたいですよね・・。
はい、失礼しました・・。
***
さてさて、本編は白波五人男と将門。
白波・・は歌舞伎的要素の詰まったこの上ない馴染みやすいお話。僕でもよく把握でき、笑えますw
今回は腹を切る場面があるんだけれど僕は初めてみました。菊五郎も気合十分、大道具も大転換で文句なしでした。
将門は、玉三郎演じる妖術使いの姫が、父の復讐の為に美しい花魁に化けて仇の元に現れ闘い、最後は本当の姿である蝦蟇に変身する話なんだけれど、格調高く美しい静寂の始まりから最後の屋台崩し(家が一軒壊れる)までまあ、圧巻。
みなさん、杮落しの初日って事もあって、華やいだ雰囲気と緊張感が綯交ぜに伝わってくるような、素晴らしく特別な舞台でした。
・・・すいません、前半に勘三郎の事を書いていたので、どうしても熱が入りません。書く順序が悪かった。
舞台の感想は他に譲りますね。
休憩中、今回僕を連れて行って下さった御仁と館内の喫茶店でコーヒーを御馳走になっていたら、妙齢の着物の女性逹が賑やかに入ってくる。一瞬怖いほどの貫録。
「アタシさぁ、席が悪くてよく舞台が見えないのよぉ、ちょっとぉー、参っちゃうわぁ」
・・・よく見たら波乃久里子さんだった・・・(勘三郎の姉)
・・・ひたすら華やかな歌舞伎座でした。
そうそう、3階にテナントで入る吉兆でご飯を食べてきました。
ここに椀と、ごく柔らかく焚いて一文字に盛った白飯、蓋つきの椀に盛られた赤飯が付きます。
あとはサッポロの小瓶、〆て6600円。わー、散在です。いや、安いのか・・(汗)
薄味で、旨みはしっかり。いい素材ならではの「季節の匂い」がする誠実なお味ですこと。
当たり前だけれど保存料や科学的な調味料の味がしない、なのに十分満足な旨みとコク。
僕の普段の食事、例えば一昨日に食ったミョウバンたっぷりのウニ丼とか、えらい違い。
これでなんと、1300円! @西新宿
ミョウバン臭が凄い。それって染物の定着剤じゃんか。
この日、半日くらい、喉がザラザラした。でもまた行こうっとw
今日は東京地方、かなり荒れ模様のお天気ですが、みなさんお仕事頑張ってくださいね。
僕はお休みなんでゴロゴロします。
最近、お陰さまで日曜も平日もとっても混んでいて、狭い店なのに本当にありがとうございます。混むというか、入れるだけ人が入ってひたすらバタバタ、朝の満員電車という感じです。
混んでいるのは商売上、とってもいい事ですけれど、ドリンクの調製も音楽も会話も、全てがほとんど後手になってしまっていて凄いストレス。立ち飲みスタンドならいざ知らず、お話したり、当初思い描いた営業ができません。
なので終わりごろになるとかなりのスタミナ不足(ダイエットの弊害もあり)、眠気と疲労感が凄まじいです。
(ホント贅沢な悩みで殺されそうなんスけどね)
ちょっとこのままいくと倒れてしまう、その位最近忙しい。さらに広い所に移転でもしたら、益々混乱気味の手薄な営業になってしまいます。平日なんて絶対に回りません。
ちょっとその辺りを考えて行かないといけない時期に来ているのかも知れません。
まあ、キリの良い時期ですので色々仕切り直してさらに良い方向に進めたいと思います!
何がキリがいいかと申しますとですね・・
***
謹啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申しあげます
平素は格別のお引立に預かり厚く御礼申しあげます
さて 当店におきましては 明日四月四日をもちまして八周年を迎えることとなります。
こうして開店八週年が迎えられましたのは ひとえにお得意様及び皆々様のお陰と深く感謝しております
この機会に 関係者一同心を新たにして 今まで以上に一生懸命努力する覚悟でございますので 何卒 倍旧のご支援 ご協力くださいますよう 心よりお願いして八周年のご挨拶といたします 敬 具
平成二十五年四月吉日 店主シンスケ
どうぞ、今後ともよろしゅうに。