昭和レトロ探訪〜新宿三丁目「千鳥街」
まずはお知らせです。
しばらく、日曜日の閉店時間を12時半ごろにさせて頂きます。
海の家などの演奏の兼ね合いもあり、9月ごろからまた通常の時間に戻す予定です。
ご迷惑をおかけしますが何卒よろしくお願い申し上げます。
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えー、久々の昭和探訪。
今日の内容は、敬愛する三橋順子先生(性社会、文化史の研究家)のブログを拝見し、一部手に入らなかった資料を拝借しながら私見を交えて書いております。問題がありましたらコメント欄までご意見をお寄せ下さいませ。
今回はキヌギヌの入る謎の極薄ビル、その名も「新宿ビル」がなぜ薄いのか、を中心に考えてまいりたいと思います。
いつも思います。風で折れるんじゃないかって。
このビル、「シフォンケーキかよっ」とも思います。いつか倒れるぞ。
しかも、うちのビルを正面に見て、右側の宝くじ売り場から、笹屋呉服店さん、そして道を挟んで向かいのドトール、タリーズさんに至るまでシフォンケーキビルが立ち並んでいることをご存じでしょうか。
お察しの通り、かなりの規模の区画整理が終わった後の空き地に雑居ビルが建ったので、こんな状況になったのでした。
といえば話が終わってしまう。
僕としては、文化や経緯を含めて色んな角度から見てみたくなる。
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そもそも、この大通り(正式名称は御苑大通り)は1960年後半にできたものなんですって。その前は、木造建築の商店がひしめく飲み屋街だったそう。
その名も「千鳥街」。
この地図の縦に二本の線で書き込みがある、この間のエリアが千鳥街になります。
路地を突っ切ると、新宿御苑だったわけですね。
地図のアップ。
笹屋から麻雀クラブメトロ、数件の飲み屋さんにかけてがうちの入居ビルの場所だったと思われます。
推測ですが「メトロ麻雀クラブ」は、きっとうちの大家さんに間違いないと思われます。
今、大家さんは新宿東口でメトロ会館というパチンコ屋さんを営んでおられます。場所的にもビルの辺り、等価交換か何かでビルが建ったのでしょうか。気になるのでこんど聞いてきます。
笹屋、は世界堂と宝くじ売り場の間にある、呉服屋さん。今も現存します。
売れているんだろうか、、、と勝手な心配は置いておいて、この時代からの大先輩。
赤線で働くお女郎さんが着物買いに来たんだろうか。
探偵の看板の下にパチンコ「メトロ会館」のオレンジの看板が読み取れます。
余談ですが笹屋呉服店お隣の世界堂は1990年に火災で全焼しています。預かっていた絵画を含む3億円の被害が出たとか。
左にうちのビルがしっかり写っています。
話を千鳥街に戻します。
大通り沿いには呉服と洋装店が軒を連ねていたんですね。
字がつぶれて読めないんだけれど、「もみじ」「やなぎ」の字が見えます。「久松」、とも。
純和風な・・。諸先輩方。
僕も平成のこの時代に、未熟ですが跡地にて頑張らせていただいています・・。先人達にただ感謝。
航空写真だとこう。マークのあたりが丁度「もみじ」、「やなぎ」の辺りだろうか。
千鳥街はですね、1967〜1970の間に強制的に二丁目の赤線エリアの中に移動させられてしまいます。
甲州街道と明治通りとのバイパス道路の整備のための区画整理だと聞いています。明治通りとのバイパスはいまだに終わっていません。都市計画って凄いな。
新宿区1970年度版、公共施設地図ではこの通り、道ができています。ほぼ現在の形に。
では、今の新千鳥街は、というと、まだ現役なんですよ、これが!!
こんな感じ。構造はわかりませんが外壁が共通なのが見てとれます。集合店舗のようなところなんでしょうか。
因みに、1971年撮影の寺山修二の映画、「書を捨てよ町へでよう」に、この建物がたっぷり出てきます(笑)
平泉征、浅川マキ、美輪明宏など、俳優陣も渋め。
新千鳥街には、女を買いに行くという場面。
「おい、着いたぞ。ここが新千鳥街だ」
「ほら、勇気出せよ!男になれんだぞ」
「いらっしゃーい。アンタ学生さん?」
「ぼぼ、僕、帰りますっ!」
そんな感じだったような。
年代的にはこの新千鳥街、映画の撮影時にはできて間もないころのはずなんだけれど、元々汚かったのかな、今とあんまり変わんないような・・。
中央の赤い看板、読みづらいですが久まつ、とあります。確証はないですが前述の久松さんではないか、と勝手に推測しております。ちなみに行く前にこの久松さんは廃業なさいました。2010年頃だったかなぁ。
行けばよかったけど、ここのババァ、よく客と怒鳴り合いしてたし。どう考えても怖かった。
で、旧千鳥街の右側に残った飲み屋街は、というと、ちゃんとこちらもあります。
緑苑街、という名前でドトールコーヒーの裏側になりますが、今もボロ看板が建っています。
Green Garden Streetとあります。
飲み屋自体は数件のみ、名前だけ残ったんでしょうか。
なーんて言っている間に、界隈の写真を見つけてしまいました!!!
では、どうぞ。
まずはうちの入居ビルを南から見て、現在。
昔の同じアングル。
何と、道の向こうに都電が見えます!!!
ここで右に曲がって四谷の方向に向かうんだな。
なんてロマンチック。ロマンチック街道より素敵。
「久松」も「ヤナギ」も見えます。その向かいには餃子屋も。
最近ゴミを入れるポリバケツも見なくなりました。
稚拙な表現だけど一言、「カワイイ!!」
今度は逆の北側から。
宝くじ売り場の前辺りから甲州街道に向かって、です。
こちらが昔。
「ケート」さんも地図に見えます。かなり気になる。
向かいの「さくらんぼ」さんもどんなお店なんでしょうか。
この向こう側に甲州街道、そして新宿高校と御苑が広がります。
あー、なんだか切なくなってきた。
昔のこの辺りを知っているお客さんに聞くと、皆さん個性的な店だったそうですね。
若いころのビートたけしさんなんかがネタ作りのために飲みに来ていたのもこの辺りだとか。
海外の俳優やアーティストも、来日の際にお忍びで飲みに来ていた、とか。
お店のドアに自転車だかバイクで突っ込んで来店した常連の話とか、(その後みんな普通に飲んでたとか)オカマに賭け麻雀で負けてスッテンテンにされた寿司屋の大将が若い板前を質草に置いて行ったところ、後日立派なオカマになっていたとか、とんでもない話ばっかり。
もちろん、普通の穏やかな店も沢山あったんだろうけど、情報も規制も少ない、人情の溢れる時代の話。
うーん、一晩だけこの頃に戻ってこの辺りを片っ端から梯子してみたい・・。
都電に乗って新宿二丁目で降りて。当時すでにある平屋の焼肉屋「長春館」で腹ごしらえして。(ここは戦後、疲れたタクシーの運ちゃんがヒロポン打っていたなんて話も聞く)
でね、いざ千鳥街。へべれけでお店の人に話すんですよ。
「僕ね、未来から来たんですよ!2013年からなんですけど、丁度この同じ場所でピアノのあるバーやってるんですよ」って。
きっと、この頃のお店の常連さんだったら、頷いて、話を合せてくれそうな気がする。
今度、近所を通られたら思い出してみてください。1970年頃まであった「旧千鳥街」。
- 2013.06.30 Sunday
- 独自研究
- 11:47
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- by シンスケ