数日前、インターネットにて井上理津子さんの書かれた本作に出会い、複雑な感銘を受けております。
その感想やらで筆を取りました。暫しお付き合いくださいませ。
大阪の飛田新地、と、聞いて何人くらいの方が解るでしょうか。
大阪の南、通天閣の南側に広がる広大な遊廓が、大正七年に開かれたその頃から現在まで、そっくり残っています。
売春防止法(1958年施行)によりソープランドなど一部の売春地域が特例として残された他は、一夜にして廃止になったのですが、この飛田遊廓はエロの聖地として未だにその姿を留めております。
なぜ、売春防止法に逆らって風俗営業が続けられるのか?
カラクリはこう。
「料理組合」に所属する「料亭」は料理という名のお茶とお菓子を出す。その値段は平均で20分で一万五千円。
中居さんは二階の個室に「料理」を運ぶ。お客様と中居さんは自然に恋に落ち(自由恋愛)、事をいたす、という具合。(もち本番です)
これなら売春防止法には引っかからないという建前になっている。なるほどね。
だから、本番中に脳溢血などてお客が倒れた場合、二階から路上に引きずり出してから警察を呼び、「人が倒れてはる!」となるそうです。建前とはいえ恐ろしい。
因みにソープランドは、経営者が場所貸しする浴場に、女性が個人的に任意で売春をしているという建前になっており、仮に経営者がシフトを組んでいたりすると「管理売春」となり立件が可能となる。
つまりは組織的な管理売春を禁じているのが売春防止法の骨子なのです。あくまで建前ですけど。
話を飛田に戻します。
400m四方に約160件の料亭。北から「青春通り」「かわい子ちゃん通り」「年増通り」「年金通り」「妖怪通り」と年齢順に並ぶ。
ほぼ全ての店が二間間口の上がり框に客引きのやり手ババァと、売り手であるお姉さんが、ちょこんと座るスタイル。
お姉さんの顔が映えるようにどこも赤い絨毯敷に赤いライト。
こんな店が160軒も軒を連ねる。
料亭を経営する経営者、お客を引くやり手ババァ(通称オバちゃん)と主役である中居さん(通称女の子)、料亭組合、目と鼻の先にあって見て見ぬ振りをする所轄の警察、治安維持と女の子の求人を補給するヤクザと、遊廓周りの飲食店経営者、何よりこの街を必要とする多くの男性客。
関わる多くの人間の暗黙の了解と複雑な秩序によって、この極めて繊細なシステムは保たれているのだ。
彼らは一切、商売に関する質問には口を開かないという。飛田新地のど真ん中で喫茶店を営む店主ですら、一体何のお店が並んでるのかと聞かれても、「何やろねぇ、よう知らんわ」平然とトボけるらしい。
悪いこと、脱法行為をしているという認識は勿論のことあるらしい。
しかも、この職業に関わる地域の家族を含めた多くの人々が差別を体験したとの理由もあり、さらに口をつぐむばかり。
なるほど、そりゃそうだわな。
そこでこの筆者の登場。
井上理津子さんという方、御歳58歳。
この閉鎖的な街に食ってかかるのも納得な、かなり骨のある女性ライターなのです。
筆者はこの街と出会い、強烈な嫌悪感と共に深い関心を抱いたという。
そして、ライターとしての使命感もあり、少しづつ取材を敢行する。
まず手始めに遊廓を足で周り、正直に正面から取材を申し込む。
先に述べた通り限りなく閉鎖的なこの街は取材はおろか写真撮影も禁止されている。しかも中年女が営業中に正面切って訪れるものだから尚更冷遇される。無理はない。
「女の癖にアホか」「気色悪いわ、あっち行ってんか」「どアホ、素人が深入りしな」とどの店からも一蹴され、塩を撒かれる。
最初、僕は読んでいてこの筆者はアホなのかな?と思ったくらい。
しかし彼女はめげることもなく次なる作戦へと打って出る。
知り合いの好色の男性に軍資金を渡して、遊廓に行かせて話を聞き出すという安易な作戦。
これも訳なく撃沈。プライベートを詮索する客は先ずもって無粋という事で嫌われるのだ。
そこで、筆者は女性であることを利用して、店が跳ねたであろう中居さんが集まる居酒屋に潜り込み、週刊文春を読みながら毎晩張り込んで、時間をかけてそこのマスターやお客と仲良くなるのである。
その居酒屋のマスターも実は大きな老舗遊郭の息子で、ちょっと訳ありだったりする。折檻部屋だった開かずの間の話だとか、胡散臭すぎてかなり面白い。
面接の申し込みにも電話で応募する。
その次にはすぐ近所の朽ち果て、古びたアパートを入念に周り、住んでいるであろう「やり手ババァ」に近づき、巧妙に話を引き出す。(部屋に上がり込んでお好み焼きを振舞われる筆者)
勢いが付いた筆者は、あろうことかヤクザの事務所に乗り込んで取材をし、斡旋などの背後にある情報を得る。(ヤクザに出された食べ物は何が入っているのか分からないのでシールで封をされた牛乳の類以外は口にしてはダメ、というのが掟らしい。)
何と正攻法、爽やかな取材方法。
ここからもう勢いが止まらない。段階を経て、筆者はこの街の住人は思ったより怖くない、と悟ったそうです。同時にだんだん筆が乗ってくる、とても分かり易い筆者。
所管の警察や料亭組合(ここが過去に橋下現大阪市長と繋がりがあったりして興味深い)に真正面から切り込むわ、知り合いの眉目秀麗な女性に無理やり面接を受けさせ付き添いという形で自分も料亭に同行するという逞しさ。
不動産屋にて客室3部屋、保証金2000万、家賃200万の貼り紙を目にすると、すかさず問い合わせてしまう。
終いには近隣に張り紙400枚を貼り出して女の子の取材を直接募集する始末。(これが意外と効果的だったりする)
この辺りから加速度的に集中力が高まり、かなり読み応えがある。
最終的には界隈のカリスマ経営者である「まゆ美ママ」という女性と知り合い、インタビューをする。
彼女はおよそ10年間で13億の純利益を稼ぎ出したという強者。多額の納税を免れるために現金主義で、マンションの隣室を借り上げて、部屋に置き切れない札束を積み上げていたとか。
にしても純利益13億とは、、。
ママによる、儲かるカラクリとはこうだ。
如何に女の子が辞めないように長く働いて貰うか、が肝らしい。
多くの女の子は前借りの借金持ち、つまり「バンス持ち」から始まる。飛田で働くための住宅や、前の店からの借金の肩代わりを済ませていない、いわばマイナスからのスタートがほとんど。
徹底的にマナーを叩き込みます。意にそぐわない子には熾烈な暴力にて教えるそうです。
それぞれの借金返済が終わると女の子は次の道に羽ばたいてしまうので、この間にあらゆる贅沢を教え込む。宝石、ブランドモノや海外旅行。
そして、次なる目標として夢を持たせ、浪費と同時に貯蓄を進めるのです。
夢を持ち、やり甲斐を感じた彼女達は洗脳され、次第に「その店に働くから自分がある」と思うようになります。
ある程度お金が溜まると今度はホスト遊びを覚えさせる。それも一晩の支払いが最低数十万もする一流のホストクラブ。ストレスから浪費を続ける女達の言動を、ホストはママに逐一報告する。
この間にもママは手綱を緩めず、成人式には振袖を着せたり、度重なる高級レストランでの食事やディズニーランドや海外旅行に連れて行くなど飴と鞭を使い分けて、さらなる洗脳を進める。生い立ちが不幸な彼女達は大抵大喜びし、心からママを信頼するという。
結果的に女達は、品とユーモア、テクニック(汗)を兼ね備えた磨きのかかった女性に変身するのだという。しかも、堅気には戻れないという刷り込みまでさせてしまう。
この間、ママの取り分40%が絶え間無く入ってくる仕組みだという。
因みに本人の取り分は50%、やり手ババァには10%。
女の子は中居という性質上、街での客引きが出来ないのでオバちゃんが居ないとお客を得られない。オバちゃんは無論、女の子の収入が鍵となり、お互いに利害が一致する。
女の子は気前良くチップをお裾分けしたり、逆にオバちゃんも女の子の相談に親身に乗ったり缶コーヒーをご馳走したりとチームワークが大切なのだそう。
洗脳された女の子がその後どうなるかという所だけれども、この街での職業的寿命は大層長く、70代でも現役がいらっしゃるそうで、そうでなくとも料亭の経営者となるも、客引きのオバちゃんとして生きて行く事も選択肢として可能性はある。他の街に移るもの、結婚生活を手に入れるもの、故郷へ帰るもの、様々である、と。
ほー、溜息が出ます。
全編に登場する普通ではない女達と、それを取り巻く人々の知恵と強さ。不幸なだけではない、あっけらかんとした人々の根性と温かさ。レトロな街並みに、粋なやり取りに表れる昔ながらの情緒。
僕も、何を夜中にこんな書いているんだろうかよく分からないんだけれど、怖いながらもこの世界に関心を持たずにはいられない。
筆者の思い入れもあり、前半は文体にクセがありますが読んでいくうちに引き込まれます。
何より取材に対する気骨を感じました。
お暇な方はどうぞ。
さいごの色街 飛田
井上理津子
筑摩書房より2000円
怪しく光るピンクの街にいつか行ってみたい。
行けないので(勇気はあるが用事がない)YouTubeで我慢。リンク切の際はご容赦下さいませ。
http://www.youtube.com/watch?v=KKQOamvpyYQあー、惹かれるぜ。
僕の関心のある何かが、この街の中に確実に、ある。