久々にラザニアを焼いてみた。
ラザニア、割と好きなんです。
フィレンツェの総菜屋でテイクアウトしたラザニアが、メチャクチャ美味しかったのです。
午後九時、商店が閉まった後のやる気のない総菜屋。刺青だらけのパンク女が嫌々パックしてくれた、あのサビれた店。
期待に反して美味しかった。美味しいなんて陳腐な表現は違う。何というのか、味よりもっと情緒的なもの。
挽肉は、まるで古代の戦士のような無骨で男性的な野性味にして、トマトによって赤く血塗られた勇者の姿さながら。
男に注意深く鼻を効かせると、遥か彼方にナツメグの香りがする。昔、交易で栄えた街に暮らした男の残り香か。これがまたイマジネーションを掻き立てる。
そこへ母性の権化のような美しい純白の生クリームが入ったポタポタのホワイトソースがしっとりと戦士に絡み合う。純白の女性は湯気を纏いつつ、全てを優しく赦し、抱擁する。
いい塩梅の塩加減と固さの平たいパスタが男女を支える。これは小麦そのもの、イタリアの、丘陵地帯に沢山見られる小麦畑ではないか。
こんがり焼けたチーズの表面はまるで情熱的。
黄金に輝く秋の夕焼けの雲が麦畑を覆う。
僕はラザニアに、イタリアの麦畑に慎ましく住まう、男と女の原風景を見た。
要するに旨かったんだ。
最近はイタリアに行くまでラザニアの存在自体、全く忘れていた。
昔はたまに焼いて、バットごと人様に差し上げたりしていたんだけれど、どかく久々に作ってみる。
最近はラザニア用のパスタ、茹でなくていいものが売っているのね。知らんかった。
ホワイトソースとミートソースを作り、順に重ねて上にチーズを載せて焼きます。
んん、うまいっ!
、、、でも、彼の地で食べたそれとは別物。風景が見えない、ただのおかず。
んー、何が違うんだろうね(´・_・`)
食べながら考えてると、だんだん味が分からなくなってきた。ラザニア自体が何なのかもよくわからなくなった。(ある種のゲシュタルト崩壊)そもそも沢山食べる種類のものでもないし、、。
胸焼け。ゲボッ。
なんか違うんだよね。
、、帰ってきて二週間、初めてイタリアが恋しくなった。あの飯の旨い、底抜けに明るい国。
僕の旅はどうだったんだろうか。とくに食文化において。正直、完璧とは程遠かった。
物価の面でもなく、食文化の違いでもない。
僕は何がしたかったのか?を半日くらいボーッと考えると、一つの結果に至る。
それはかなりシンプルな回答だった!!
単純に、イタリアに居ながら日本の鯵の開きと味噌汁、漬物と卵かけご飯が食べたい。
日本にて、向こうの新鮮な手長海老のカルパッチョ、ラザニア、イカ墨パスタが食べたい。
ああ、最高だわ、それ!そして不毛。でも、それが一番しあわせかも。
食い意地とは恐ろしいものですな。
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部屋が過去最高にモノだらけで足の踏み場もありません。もっと増えたら写真載せます。
- 2014.03.29 Saturday
- 食い意地
- 06:45
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- by シンスケ