野田MAP@芸術劇場。
お客さんが出演中のご縁でお邪魔しました。
出演は妻夫木聡、深津絵里、仲村トオル、藤井隆、大倉孝二、橋爪功その他、、。音楽は椎名林檎。
物凄く複雑な芝居でした。(笑)
7つくらいのストーリーが前後左右に組み込まれ、たまに何処かにピントが合うと、そこから別のプロットへと導かれる。そんな調子でドンドン進む。
それらは何かの比喩や単なるイメージのようなもの、かなり直接的なものまで様々。それが情報の洪水のように現れては消える。
軸となる架空のスポーツ「エッグ」に打ち込む選手団、その選手と有名歌手との恋愛。戦時中の731部隊のエピソード、修学旅行生と集団就職、果ては寺山修司や1964年の東京オリンピック、現代であろう狂言回しのシーンとが複式に絡む。
前半のスポーツに打ち込む直向きな青年たちが、後半の731部隊で細菌兵器を研究する青年を象徴しているのだろう。
ザックリとは把握したけど、正直いって楽しめるとか他人に説明出来るほど、僕の頭では理解出来なかった。
(´・_・`)
多分、天才的に頭の回転の早い躁状態の酩酊した人と話をしている感覚と似ているかも。
バラバラの何かは全てはお互いに結果へと連なる比喩であり、不必要なものは省かれているのだろうか。
毎度状況説明と何らかのオチを期待する僕が悪いのか、、。
もっと頭がよかったら感想くらい書きたいんだけど、わからないものは見栄を張っても仕方ない。
まあ、、、、理解していない舞台の話はこのくらいにして、また僕的な下世話な話。
そそ、妻夫木さん。
生で見るのは初めてなのです。
冒頭、プロローグの口上めいた寸劇があり、野田さんが、いつものユーモアをタップリに会場を和ませる。
それが終わると舞台後方の扉から、車椅子に乗った妻夫木聡が出てくる。押すのは深津絵里。
白い光の中から純白の衣装を着て、車椅子の上で倒れている。
僕は、芸能人は比較的見慣れている方なのですけど、この「生」妻夫木聡には参った。
光が射していたからか、彼の顔だけが浮かび上がっていた。
奇跡のような、神様的な何か。
深い森の中で、突然一角獣と目が合うような、そんな神々しいものであった。
それが徐々に起き上がり、動き出す。まるで植物の成長の様子を早回しで再生したようなエネルギー感。
僕は元々妻夫木聡さんの大ファンです!というのではないのです。
TVや広告で日々世間に溢れている、もはやアイコン化した彼という存在。
知りすぎたその表情が目の前で生で動いている違和感と感動。やっぱ彼も生きてるのね(笑)
ローマに行ったときにトレヴィの泉を見た感じと似てるかも。あーこれ、カレンダーだけじゃなく本当にあるんだねーみたいな。
単なるゲシュタルト崩壊なだけかもしれません。
何が言いたいのかまとまりませんでしたので後日補筆します。
補筆
感想や解説を読んでみたのだけれど、やはり僕の理解度が足りないせいか、よく解らなかった。悔しいけど。
細かく言えば、前半で僕が舞台を拒否した事で付いていけなくなり、さらに解らなくなったのだ。
「分かりやすく痛快なエンターテインメント」も芝居であれば「通好みの複雑な演出による演劇」もまた同じ芝居なのであります。僕はやはり前者が性に合う。
今日のような芝居を見るときには見るなりの「言語」を持っていないと楽しめないのも事実。それは現代音楽やコンテンポラリーダンスにも言えると思う。
それが僕には備わってなかったのですね、、。
しかし、中学生の頃。シェーンベルクの「清められた夜」をレコード店で買い、失敗したなと後悔した記憶があります。全く理解出来なかったの。
今なら心地よく身を委ねて(むしろ舐め取るように)聞けますが、当時は皆目見当が付かなかった。
それを受けて大人になればある程度理解出来ると踏んでいたのだけれど。
理解するための言語を持ち合わせず、「面白くなかった」などと断言するのは如何なものかと思うので、また後年、映像を観る機会があれば再度チャレンジしたいと思います。
おしまい