最近、あまり時間がなくて本を読んでいなかったのだけれど、本来、本を読む事が大好きです。
書物は偉大な先生です。僕が経験できないような栄華や修羅場を潜った知恵が、順序よく一冊に詰め込まれている。
特に悩んだりした時は、先人たちの体験談は何よりの特効薬であります。
後はそれを手に取って開くか、開かないかだけ。
石井妙子著「おそめ」
彼女は祇園の芸妓としてデビューし、戦争を経て京都と銀座の二軒のバーのママとなり、伝説を作り上げます。
顧客は某宮様から吉田茂、佐藤栄作に田中角栄、中曽根康弘、白洲次郎などの政財界人。青山二郎、小津安二郎らの文化人、服部良一の歌にもなり、川端康成や川口松太郎の著作のモデルにもなり、映画化までされました。
僕なりに、かいつまんで書いてみます。
大正12年、京都は三条高瀬川に上羽秀、という一人の女性が生を受けました。
裕福な炭問屋の父と美貌の母の元に生まれた秀は、幼少期から多難な人生を歩みます。母に欲情する祖父、それに嫉妬し、腹を立てて暴力を振るう父。
生粋の京女の秀は、様々な事情を経て新橋にて芸者修行をさせられます。
3年後、母が寂しいという理由からまたも急に引き戻され、急遽祇園からお披露目となります。芸者名はおそめ。
おそめはおっとりした性格と類稀な美貌にたちまち祇園一の売れっ子となります。
この頃の美貌は後の語り草で、道を歩くと人だかり出来たとか、後光を発していた、まるで観音様のように神がかっていたというような証言が複数あったそうです。
しかし、新橋での修行が災いしてか祇園の踊りに上手く馴染めず(新橋では藤間流、祇園では井上流を習っていた)おそめの人気への嫉妬も相まって周りの先輩から凄惨な虐めを受けます。
おそめは文句一つ言わずに勤め上げますが、家中のものを庭石目掛けて投げつけるといった行動でストレスを発散し、何とか自分を制します。(母が「次は上等の花瓶どっせ、ほないきまひょか」と渡す始末)
そして昭和17年、旦那に落籍されます。
相手は松竹創業家の末っ子、S。
Sはおそめを溺愛し、戦時中にもかかわらず着物から帯から与えまくり、一家は木屋町仏光寺の一軒家にて苦労もなく生活する。そんな生活に感謝するどころか、退屈さを抑えられないおそめ。
やがて戦争が終わり、旦那の経営するダンスホールにて踊っていたおそめは、居合わせた男に一目惚れし、その後妊娠までしてしまう。
それこそ生涯のパートナーとなる俊藤。彼はヤクザ同然の博打打ちで、しかも奥さんと子供が三人も居る男。(随分後に映画プロデューサーとして活躍し、仁義なき戦いシリーズなどを製作する事となる。)
その男の子供の一人が後の富司純子さん。寺島しのぶのお母さんです。(凄い)
Sとも縁を切り、手切れ金や家まで与えられたおそめは、食べるために自宅でバーを開くことを思いつきます。まだこの時代、祇園の芸妓などがBARを経営するという前例はありませんでした。
昭和23年開店。バーの名前はおそめ。
「おそめがバーを出したぞ!」
かつての祇園の旦那衆はこぞって通い、またも噂になります。
たった6席の狭い会員制バーはたちまち噂になり、はんなりした優しい性格と際立った美貌のおそめを見ようと東京からも作家や各界の名士が挙って押し寄せます。
仕事をしないで店の金で呑んだくれて女を作る情夫。実母と情夫の確執。情夫の家庭に仕送りをするおそめ。
それでも彼女は天真爛漫に働き続け、「おそめ」は益々繁盛します。
そのうち、常連に請われて東京に店を出さないかという話が持ち上がる。
おそめは若い頃に暮らした東京のサバサバした物言い、人情が恋しかった。
「うち、東京行きとうおす!」
すぐさま錚々たる常連による応援団が結成され、皆が手分けして場所探し、内装、宣伝、案内状、酒の手配をします。
そうして昭和30年、「おそめ東京店」を銀座三丁目にオープンします。毎夜信じられないくらいの人が押し寄せ、高級外車が晴海通りまで並ぶために辺り一帯が渋滞する。顔ぶれは歴代総理から経済界の重鎮、文豪に映画監督、俳優、スポーツ選手まで様々。
おそめは京都と東京という、国鉄の特急つばめで7時間半かかる距離を週に半分づつのスケジュールで往復するという考えられない生活を始めます。ついには毎週飛行機に乗るようになり「空飛ぶマダム」と呼ばれてマスコミを賑わせる事となりました。これにより日本一飛行機に乗ったお客として日本航空から表彰されたりしてます。
(乗り遅れそうな飛行機に直接電話して、待たせたりもしていたらしいです)
おそめの人気を面白く思わないのが当時銀座一の格式を誇る人気バー、エスポワールのマダム、川辺るみ子。
「おそめ」の客はエスポワールとほぼ同じ層。京都だからと静観していたものの、銀座に来るとなると話は違ってくる。
しかもこの頃の銀座のママは皆叩き上げで、戦前のカフェの女給から始まり、戦争前後には人に言えない苦労もあったらしい。
おっとり清楚な箱入りの芸者上がりの彼女が、白洲次郎を始めとする一流の常連客を味方に付けて出店した事が許せない。(るみ子は白洲次郎の愛人でもあったらしい)
ついにるみ子は酔って「おそめ」に乗り込む。
「この泥棒猫っ!カマトトぶりやがって!!」
頬を打たれたおそめは、涙を流しながらにっこりと微笑み返した。
(るみ子についてもっと書きたいのですがキリがないので)
その確執は川口松太郎(第一回直木賞受賞者)の小説「夜の蝶」のモデルとなり、山本富士子らによって映画化されます。それらは大ヒットし、連日取材陣が両マダムの元へと押し寄せます。
店はさらに隆盛を極めます。誰もがおそめを崇め、一目見たいと願う。作家の水上勉は紀伊国屋書店社長の田辺の同伴で初めて店に足を踏み入れた時に感激し、人目も憚らずおそめに跪いて白足袋に接吻をした。
この頃のおそめの金銭感覚は芸者時代からさらに磨きがかかり、もはや崩壊していた。電車の車掌が通るたびに一万円札を渡すとか、自分が食べもしない寿司屋の配達の小僧にまで数万円単位で渡していたとか、ポーター達がおそめの荷物を持ちたがって日々殴り合いをしていたとか、そんな調子。
その事を周りにたしなめられると
「うちはお金や物なんか残しとうおへん。残したいのは名前だけどす」
と言い放ったという。おそめは着物こそ凝った誂えをしてはいたが、宝石の類にはまるで興味がなく、稼いだ金は紙切れのように直ぐに使い切るのだった。
「お金ゆうもんは流れているもんや。流してあげたらまた流れてくるのやから。特に水商売は」
更にこんなエピソードも。
客の倒したグラスに悲鳴を上げて身を引くホステス達。皆、着物を汚したくないのだ。
下ろし立ての大島を着ていたおそめは酒の溢れたテーブルに覆いかぶさり「大丈夫どしたか?お洋服にかからしまへんでしたか?」とお客に聞いたと言う。
唖然とした客が着物を心配するとおそめは「こんなん、どういうことおへん」と風のように笑った。
この話はあっという間に銀座に広まり、男たちが目を細めながら「おそめらしい」と語るも、銀座の女たちは「全部計算よ、よくやるわね」とやっかむのであった。
おそめの負けん気からか、手狭になったと感じた「おそめ」は昭和32年、さらに銀座八丁目の巨大な店舗へと移転をする。
バンドが入るような大型店はもはやエスポワールを上回る広さ。そこにズラリと並んだ生え抜きの美しい女の子達。
更に昭和35年、木屋町仏光寺の6席のバーを売り払い、御池通りの土地を用意して総面積320坪の「おそめ会館」を建ててしまう。
インタビューに対して「なんやもう、ブレーキがきかんのどす、、」と答えている。
心配する周りの声をよそに、中にはナイトクラブおそめ、レストランおそめ、バーおそめなどが入り(全部おそめじゃん 汗)壁にはマリーローランサン、東郷青児の絵がかけられていた。
ナイトクラブでは雪村いづみや美空ひばりが歌ったそうで(美空ひばりがナイトクラブで歌ったのはここだけ)名実ともに押しも押されぬ日本一のマダムになった。
幸せもつかの間、おそめに、高度成長期の新たな波がやってくる。
社用族の経費での接待に銀座の客層はとって変わり、やがておそめの両店は格式だけ一流の時代遅れな店となり、売り上げがどんどん下がり始める。
面白いことにおそめの凋落と時を同じくして、事実婚の夫、俊籐は映画プロデューサーとして頭角を現し、東映の幹部になって多額の金を稼ぐようになり、おそめは複雑な安堵感を感じる。
とはいえおそめの衰退は止まることがなく、長年の周りからの嫉妬や、週刊誌の興味本位の加熱報道、支えてくれた一流常連客の高齢化による世代交代、全てがその理由なった。
多額の借金に追い詰められる中、ついにおそめの経営に止めを刺すようなある事件が起こる、、、。
とにかく、かなり内容の濃い本です。山口組の組長から銀座の女、白洲正子、小津安二郎に川端康成、銀座のクラブ「姫」の山口洋子や宇野千代、寺島純子さんまでありとあらゆる人が出て来ては、おそめと絡み合います。おそめが隠居してからもまだまだ波乱があります。
僕の読む限り、全盛期のおそめさんは仕事をしている意識はなく、ずっと遊んでいるというか、楽しんでいたんじゃないかな。人と関わり、好かれる天性の才能。稀有な人かもしれません。
しかし、おっとりした性格なのに負けん気が芽生えて、いつしか拡大路線に向かってしまう。
仮に、もし最初の京都の6席のままだったら、せめて銀座の手狭な規模の店のままだとしたら、おそめさんはどういう人生を送ったんだろうか。
なーんて、他人事とは思えない。(笑)
この本の面白さは、BAR「おそめ」の爆発的なヒットと、意外と早く訪れる凋落の構図にあると思います。マダムの持つカリスマ的特性と店の広さが関係しているのではないでしょうか。
これだけ勘のいい彼女が見抜けなかった拡大路線の落とし穴。年齢への不安や自尊心も理由としてあったのかもしれません。
とにかく、一代限りのマダムが時代に乗ってテンポよく挑戦する様は商売の面白さそのものであり、「小説より奇なり」の一言に尽きます。自信に満ちてぶっ飛んだ女ほど面白くて怖いものはない。
筆者が、毎日新聞の囲碁欄を担当しながら五年かかって書き上げた渾身の一冊。
ああ、僕も心の中におそめを抱いて頑張ろう。