久々の華族研究です。暇つぶしにお付き合い下さいませ。
好評頂きました一作目は2012年、
「近代日本のイケメンの歴史を紐解く」以来、数本の華族ネタを書いて来ましたが、 今回は初の女性にスポットを当てて考察してみることに致しました。
一口に華族と言っても多岐に渡ります。根っからの公家華族なのか、大名華族なのか、はたまた維新期の勲功華族や軍人華族なのか、それとも三井や住友のような大資産家に構成される新興華族なのか。
細かい分類はさて置き、この「昔のお嬢さま」の中に現代でも通用する美人がどの位いるのか?というだけの軽薄なテーマでお送りします。
年代はバラバラでーす。
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北白川宮美年子女王 1911-1970 (生家は北白川宮家 成久王第一王女 臣籍降下により立花子爵家に嫁ぐ)
なんと清々しい王女さま。おさげ髪にレエスのワンピース、正しい深窓の令嬢。蓮華畑でパラソルの下、読書が似合いそう。
こんな方が通学路にいらしたら、男子達はメロメロになるに違いない。
残念ながら父君の北白川宮成久王はフランスに於いて自身の運転する事故にて亡くなられています。
女王は蜂須賀公爵と婚約していたが、蜂須賀氏の余りの素行の悪さに破談となり、その後結婚を経て49歳にて死没。
相馬雪香 1912-2008 (生家は第20代司法大臣 尾崎行雄の三女 相馬子爵家に嫁ぐ)
大人しい深窓の令嬢とは打って変わって、政界の麒麟児尾崎行雄のお嬢さま、さぞかし芯のある美人タイプだな、なんて調べていましたら、すごい経歴。
聖心女子学院を出られた後、活動を開始され、ひたすら女性と難民の救済に尽力されたとても有名な方らしいのです。
長年活動を続けられまして、96歳でご逝去。こんな言葉を残されております。
「学んであなたは、何をするの?」
カッコいい!!(´ー`)
前田鞭子 1895-1965 (生家は前田伯爵家、山縣公爵家に嫁ぐ)
こちらも堂々の加賀藩主、前田家の血を引くお嬢さま。(前田家は侯爵家なのですがお父上が富山藩主の家督を継がれていまして伯爵家となります)
ちょっと女優の尾野真千子さんに似てると思いました。
目元スッキリの美人ですな。こんな人と着物着て銀座をお散歩したい。あんみつ食べて、帯締め買って、活動写真観て。頭はこんなに大きくない方が良いなぁ。
松方幸子 (生没年不明 生家は吉川男爵家 松方公爵家に嫁ぐ)
岩国藩主の吉川男爵家に生まれる。最初調べ出した時は、「なんだ、地方藩主でしかも公、候、伯、子、男、で言う最下位の男爵じゃん」なんて思ってたらとんでもなかった。
千代田区駿河台の洋館に47部屋、トイレが8つ。父上始めご家族はハーバードに留学、、。そんな中何不自由なく育った幸子は第3代総理の松方正義公爵家に嫁ぎます。
うーん、本当に美人。美人薄命のタイプの美人ですね。こんなお母さんが着物で授業参観に来てくれたら、、。
白洲正子 1910-1998 (生家は樺山伯爵家)
ご存知白洲次郎の奥様で、伯爵家令嬢。ハッキリ顔の美人であります。
経歴は沢山あるので他に譲るとして、この日本髪のお嬢さんが後年、咥え煙草でこんなにワイルドに。(汗)
迫力ありますな。
住友春子 1913- (生家は西園寺公爵家 住友男爵家に嫁ぐ)
トランプで遊ぶ、些かの悩みもない美少女といった風情のお写真。
筋金入りの弩級のお嬢さまはこの後も全くお金に困らない人生を歩む。
祖父は総理を二度務め、大学を3つ作った公爵西園寺公望。お父さんは更に金持ちの毛利公爵家からの養子。(毛利家は華族一の資産量でした)
春子の嫁ぎ先は戦前の解体前の住友家。
あー、書いてて嫌になるわ。将来を約束された納得の天真爛漫な笑顔。
末広ヒロ子 1893-1963 (生家は福岡県小倉市長 末広直方、後に野津侯爵家に嫁ぐ)
現代風なパッチリとした目元、筋の通った鼻、今の美意識とかなり共通する美しい顔立ちでいらっしゃいます。
美人とはいえ、なんで平民出身の彼女がエントリーされているか。ここにはちょっと面白いお話があります。
1908年(明治41年)時事新報社が日本で初めてのミスコンを開催しました。学習院女子に在籍していたヒロ子の義兄がこのコンクールに応募したところ、7,000人の応募者の中、絶賛の元優勝しました。
学習院女子の院長である陸軍大将乃木希典は、厳しい校風と他の生徒への配慮もありヒロ子を退学にしてしまいます。
しかし、義兄が勝手に応募した事を知った乃木希典は申し訳なさに結婚相手を探し、ヒロ子を侯爵家に嫁がせるというお話です。
田嶋陽子さんが聞いたら暴れ出しそうなエピソードですが、、、。
因みにヒロ子の姉の孫はジャズピアニストの山下洋輔さん。晩年、リウマチで腰の曲がったヒロ子を見て、「怪物」と渾名を付けていたらしい。
柳原白蓮 1885-1967 (生家は柳原伯爵家 大正天皇の従姉妹)
少し前の朝のドラマで出てきました、歌人の白蓮女史。
伯爵家に生まれるも妾の芸者の子と告げられショックを受ける、後に同じく公卿の北小路家に嫁ぎ、愛情のない結婚生活に心を病んで離婚後生家にて幽閉生活を送る。
九州の田舎の炭鉱成金の家に嫁がされ、雑誌「解放」の編集者宮崎龍介と恋に落ち、出奔。
恋に生きた女性歌人、というイメージが強いのですが、皇太子明仁殿下(今の平成天皇)が平民出身である美智子さまと結婚するに際し、香淳皇后や常盤会のメンバーと共に右翼を動かして激しく反対しました。
自分は編集者と駆け落ちしてて、皇后が平民出身なのは許せないのかい、、。白蓮さん、そりゃないよ。
慎ましく老後を過ごす白蓮の写真がこちらになります。
ちょっと似てるかも、、、。
陸奥亮子 1856-1900 (新橋芸者より陸奥宗光伯爵へ嫁ぐ)
没落士族の旗本の娘として生まれるも、新橋より芸者として小鈴の名前でデビュー。伯爵陸奥宗光に見染められ、後年は駐米大使となった宗光とともに渡米。ワシントン社交界の華と呼ばれた。
まー、この方が今までで一番現代風な美貌をお持ちですかね。色んな美人の要素を複数お持ちでいらっしゃる。
他の方は生まれも華族、嫁ぎ先も華族という方が多いけど、この方はかなりの苦労人。ダンナが投獄された時も献身的に支えたとか。その後ワシントンで一花咲かせるあたり、漫画みたいな展開ですな。(英語どの位話せたんだろ?)
僕的には苦労人の陸奥亮子さんに一票を差し上げたい所です。
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さて、美人の人はいいけど、その他の人ってどんな顔だったの?みたいな話になりますよねぇ。
僕の思う平均的なお公家顔のお写真もエントリーさせて下さい。ご無礼は重々承知です。
久邇宮妃俔子 1879-1956(生家は島津伯爵家)
お顎がかなり発達してらっしゃいます。
公家に特徴的な面長で、お目目がとても細くていらっしゃいます。所謂、引き目鉤鼻と言われる日本古来のお顔立ち。
浮き世の美人画もこんな感じの印象を受けます。
今回華族の方を調べた中で、このタイプのお顔立ちが最も多かったです。何でかな。
実はこの方、昭和天皇の后である香淳皇后のお母様なのですね。誠にやんごとなきお顔立ちのルーツに違いありません。
後年のお写真。
あれれ?
アップしてみよう。
ギャッ!!!
ブツブツかと思いきや、ベールの模様でした。どう見ても変ですよねぇ。何かをお隠しになろうとなさったのか、、。
そして、徳川家より15代将軍慶喜のお嬢さん。
四条糸子 (生没年不明 生家は徳川公爵家 四条侯爵家に嫁ぐ )
カッパ、、、、。
(失礼しました)
いやいや、ともあれ、お家柄とお顔の関係、今後とも調べて参りますね。まだまだ資料をまとめないと。(何のために、、、)
あと、現代版も興味深いです。各国の王族から、とびきりの美人とブスを探してまたアップしまーす。
おしまい