ああ、長崎、長崎、、、。
今回のブログはかなり長いです。昼間から飲んでるのでそうなりました。お好きな方だけお読みください。
マキさんの新編が放送されて、ブログのアクセス数が10倍ぐらいに増えてビビっていますが、独自路線を崩すことなく続けて参ります。
(汗)
さて、僕がずっと行ってみたかった街の1つに、長崎があります。
今回は僕の情緒の原点を探る旅、です。
僕はよくお店なんかをご覧になった方がヨーロッパ趣味だよね、なんて言われることが多いのですが、正確には「日本にヨーロッパ趣味がなだれ込んできた時のややこしい感じ」に目がないのであります。
日本人は他国の文化を混ぜるのが上手と言われていますが、それも数回の大きなブームを経ていると思われます。
開国後の鹿鳴館、大正ロマンのアールデコ、戦前の洋間付きの文化住宅。終戦後間もなくのジャズブームやタンゴ、ラテンブーム。
どれも混ざってるのか混ざってないのか、インチキ臭い脇の甘さも含めて、僕にとっては本当に堪らない、ただただ好きな世界なのです。
それと同時に、女のドラマも好きです。特に、売られた女の儚く悲しい物語。昔の芸者さんやお女郎さん、ラシャメンに戦後の洋パン。
横浜や下田、神戸に長崎。偶然だけどそれらの街には中華街もあります。きっといろんな外国文化が混ざってたんだろうと想像します。
悲しい女の異人さんとの物語は横浜の「ふるあめりかに袖は濡らさじ」やら、下田の唐人お吉、長崎の蝶々夫人など、枚挙にいとまがありません。
そして、「異国文化と日本人の融合」と「悲しい女の物語」この2つ足すと、僕の中では美輪明宏さんへと結実します。
いわばアイコンです。
濃い化粧でドレスの裾を引き、シャンソンの形をとった、女の悲しい物語を伝え続ける女形の美輪さん。
セピア色の時代を生きたこの方は、僕にとってはどこを切り取っても情緒の母なのです。
でも、特に「美輪さん命っす!!」というわけではないのです。コンサートも三年くらいご無沙汰していますし、特に追いかけて録画したりもありません。
でも、いつも好きなものを紐解くと必ず美輪さんに帰ってきてしまいます。絵の具の三原色みたいに。なんでだろか。
平成の現代でも未だ変わらない、彼の紡ぎ出す戦後の焼け野原に漂う、甘いメロデイ、酒場の匂い。
彼が生まれ育った昭和初期の長崎の遊郭と、その周辺環境。これを見ずして先には進めません。
オーバーだけど、それを解くことは僕の心の奥底にある懐かしい風景を見ることと重なるのかな、と。
そういう訳で今回は、僕の好きな「情緒の世界」を求めて長崎を旅しにやって参りました。
僕なりにレポートしてみます。しばらくお付き合い下さいませ!
羽田からタラップにて機内へ。長崎行きはマイル消化です。一昨年の移転の頃にたまったマイルが丁度今切れるのです。
機内では領収書の整理と、、、
美輪さんの予習。
そうこうしてるうちに、窓にはには長崎の島々が。待っとけよ、今から行くからな。
***
美輪明宏氏は昭和10年、長崎市の本石灰町にて生をうけました。
路面電車の思案橋駅が最寄りだそうです。中々の懐かしい街並み。
昔はここが川で、橋が架かっていたそうです。奥に丸山遊郭という、京都の島原遊郭と向こうを張る規模の巨大遊郭がありました。
最盛期には59軒の遊女屋に335人の女郎さんが居たとか。
客はこの橋の辺りをいこうか、戻ろうかと思案していたからその名がついたそうです。
思案橋駅から丸山遊郭に向かう途中の門前町に南座という大きな芝居小屋があり、その隣のカフェー「世界」の奥の長屋でお生れになったとのこと。
自伝「紫の履歴書」の冒頭に、
武久夢二の長崎十二景の絵さながらに、港あり、丘あり、山あり、川ありで、その中にイスパニヤ、ポルトガル、オランダ、オロシア、支那、朝鮮、英米國人と、様々な国の人々を遠い祖先に持つ人々が、その面影を残した容姿や性癖、習慣で、それぞれが幻のように暮らしておりました。
とあります。
美輪さんの生家のあった本石灰町は元々異国情緒の豊かな街並みで、表通りにはロシヤケーキの店や支那餅など、様々な店が並んでいたそうです。
美輪さんのご実家の稼業はカフェーで、今で言うキャバレーとバーの中間くらいですかね。和洋折衷の最新の流行の着物を着た女達が男とダンスを踊り、享楽の時を過ごした場所であります。
美輪さんのお母様は女傑の美人と界隈で有名で、篝火と夜桜の裾模様が入った着物にハイヒールを履き、夜会巻きにした髪にはスペイン櫛を挿し、レースの扇を仰ぐ、、、当時流行の昭和モダンスタイルで、数十人の女給さんをまとめていらしたそうです。
そして、隣の南座はかなり大きな規模の劇場で、当時最新の芝居や映画が上演されており、支配人夫婦に子供が居なかった為か可愛がられた幼少期の美輪さんは、それらを片っ端から見せてもらったとあります。
そして、向かいの近江屋楽器店では最新のジャズやシャンソンのレコードを聴き、斜向かいの骨董店では美術品やアンティークを見て、生家の側で文字通り目と耳と心を養った幼少期だった、と。
なんて素敵な街なんだろうか!!
まあ、能書きはこのくらいにして。早速入ってみましょう。
情報によると生家の隣にある南座という芝居小屋は、その後長崎宝塚劇場となり、映画館を経て今はリッチモンドホテル長崎へと建て替わっております。
リッチモンドホテルをあっさりと発見。
と、言うことは、、、。
これだ!
ありゃりゃ、、、。えー。
カラオケスナックと焼肉店か。かなり雰囲気違うなぁ。
この辺りは居酒屋、コンビニにカラオケ、ビジネスホテルにサウナ。後は見慣れたチェーン店のお店に風俗店、まあ歌舞伎町的なエリアなようです、、。
かつてはここに和洋折衷のカフェーがあり、向かいにはシャンソンのレコードの流れる中、ロシヤケーキのお店があったのか。見た所、どうやっても想像出来ないです。
日本中の繁華街で見られる、なんとも言いようのないつまらない景色でした。
まあ、言っても仕方ないもんね。グスン。
折角だから奥の丸山遊郭行ってみよっと。
と、レトロの神様は見捨てなかった!!
当時からある交番ですって。素敵じゃないか。持って帰って、ウチの向かいに置きたい。
当時の行き交う紳士淑女も、美輪さんもこれを見たのかな、、。
その奥には、何と、、
見にくいですが、キヌギヌの向かいにもある
角海老さまがありんす!!
言わずと知れたソープランド。奇しくも同じ交番の裏手にあります。
ありゃー、何という偶然。やっぱ色街はカオスだな。
そして、脇道を探索。
ゴールデン街と新千鳥街を足したような
こちらの方が古くて小さな店が沢山。まあ、落ち着きます。(笑)夜にまた行ってみよかなっと。
その中で目を惹く看板を見つけました。
「オカマとマジック」が日本上陸、愉快なサリーママ、、。
オカマの方がマジックするのかな、、。日本上陸って事はサリーママは外国人なんだろうか。
かつての色街は総じて、売春防止法以降に飲食街になり、雰囲気や情緒が失われてしまっています。
それは仕方のない事かもしれないけど、日本のどこか片隅に、一箇所くらいは華やかで怪しい、お芝居のセットのような街が残ってないかといつも思います。
居酒屋に牛丼チェーン店にコンビニ。日本中、どこ行っても同じなんだもん。それじゃつまらないですよ。
ここ長崎には何かがありそうな予感がします。レトロな華やかさ、怪しさに活気も。
明日は見つかるかな?
まだまだ続きます。