このブログに度々登場します三橋順子先生。明治大学など複数の大学の講師でもあり、トランスジェンダーであられ、性社会、文化史研究家であられます。
彼女のブログは僕の「お気に入りリスト」の上から2番目にあります。(1番上は酒屋の発注サイト)
そしてこのブログ、毎日欠かさずチェックしております。
膨大な知識と、ブレることのないリベラルな論調の持ち主である先生の守備範囲は唖然とするほど広く、ご専門の性社会学や昨今のLGBT動向はもちろん、政治、時事問題、各選挙の票読み、日常のちょっとした事柄からサッカーの試合予測から戦前にかけての着物の染色手法「銘仙」について、地震の翌日のプレート解説まで、多岐に渡ります。
僕はこのブログを密かに「三橋曼荼羅」と呼んでおります。「平成の南方熊楠」とも。
数冊の著書を経て、僕の最も関心のある新宿の歓楽街を読み解いた著作がこのたび出版されました!!
新宿「性なる街」の歴史地理
三橋順子著 朝日新聞出版より1700円
この著書は、歓楽街、酒場、ソープランド、ゲイタウン、女装者コミュニティ、そんな店が混在する新宿にクローズアップしています。
江戸時代の宿場町から戦前の遊郭、戦後の赤線を経て世界有数のゲイタウンの誕生までの変遷を描いています。そこに伴うゴールデン街、千鳥街、緑園街といった飲屋街も登場します。
昭和33年に施行された売春防止法。それまで政府黙認の元、営まれていた全国各所の赤線地帯が一斉廃止になりました。
急な法律の施行に戸惑う当事者やお客さん。それもその筈、ある夜を境に街が1つ消える訳ですから。
僕にとってはその辺りの成り行きが堪らないのです。
そもそも、売春街という超特殊なエリアが、ドラマ性をより際立たせております。こんなに素直で人間臭い街が他にあるだろうか。
1つのアクションによって、その後の流れがどんどん変わる。誰も予測しなかった別の潮流が生まれたりもする。
歴史を遡って眺めるのは本当に面白いです。将棋の手の解説を逆から読むようでもあり、それこそ戦争の戦略を逆さから紐解くのにも似ている。
うちの親父が日露戦争から大平洋戦争にかけての本を膨大に読んでいて、何が面白いのかと気味が悪かったのだけれど、それと似ているかも知れない。
歴史を上流から下流から紐解く、それは人間ドラマそのものではないでしょうか。
三橋曼荼羅は膨大な資料から、この著者に見事に再現されております。
棺桶に入れて欲しい一冊!
前置きが長くなりましたが、本書はとにかく濃密な内容となっております。
膨大な図録と写真、地図を駆使して考察を重ね、今まで明らかになっていなかった細部を見ることが出来ました。
地図ひとつ取っても「東京都縮尺2500分の1地形図」「火災保険特殊地図」「特集誌より引用の店舗図」などを使い分けられ、特集号などにありがちな「この辺りに昭和末期まで存在した」、、というような曖昧な表現は排除されています。
筆者の筆圧の高さと細やかさに圧倒され、読むにつれて当時の新宿を歩いているかのような錯覚に陥ります。
遥か新宿駅、伊勢丹を背にして世界堂へと差し掛かると向こうにネオンの光が見える。都電通りを渡って寿司屋の手前を左に曲がると香水の香りとともに、客引きのお姐さんの手招き。
「お兄さーん、寄ってかない?」
こんな感じでしょうか。
はあ、、、一度行ってみたかった。
赤線地帯の研究の他にも、飲食店街として僕の移転前の営業場所であった
新宿千鳥街に関しての研究も掲載されております。
赤線跡の二丁目、青線跡のゴールデン街、ドヤ街跡の流れを組む緑園街や千鳥街。その中でも千鳥街は特殊な道を辿ります。
新宿通り沿いにある画材屋「世界堂」近くに拡がっていた飲屋街が、区画整理のために新宿二丁目の真ん中に一斉移転させられ「新千鳥街」と名称変更する経緯です。
飲み屋がごっそり代替え地に移転なんてあまり聞いたことがないのですが、、、。そこにも面白い話が沢山登場します。
そして、文章の中には僕の店の名前も登場します。(笑)
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、、、そのことをブログに書いたら、今は亡き新宿「千鳥街」の名残のこのビルにあった会員制バーキヌギヌのオーナーさんからコメントをいただき、いろいろ情報交換をするこもができた。
「千鳥街」なんて誰も興味をもっていないだろうと思い込んでいたので、同じ関心を持っている方がいることを知って、とてもうれしかったし、何より勇気付けられた。
「キヌギヌ」は2015年10月に新宿五丁目に移転したが、いつか二人でタイムマシンに乗って「千鳥街」でデートしたいと思っている。
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キャー!!嬉しいっす!!僕だって千鳥街に関心のある人なんているとは思ってませんでした。
それが、毎日読んでいるファンのブログのしかも著者に、活字で店名が載るだなんて。
山手の「ドルフィン」という店名がユーミンの名曲に永遠に刻まれる、それに等しい感動があります。本当にありがとうございます。
さてさて、昨日のブログにも書きました志村けんさんのコント「ひとみちゃん」との関連について。
これに関しては少し僕の独自考察も交えて書きたいと思います。
志村けんのひとみ婆さんのモデルはかつて二丁目赤線のママだった!?
1958年内外タイムスより赤線時代の「サロンひとみ」
1962年、売春防止法により「寿司ひとみ」となり、フジテレビが近かった事から放送、出版関係者の溜まり場となる。タモリが赤塚不二雄に詠んだ弔辞にも「毎日、新宿のひとみ寿司という所で夕方から集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、、」とあります。
ここまでは著書に描かれておりますが、時代は下り志村けんさん。この方もひとみ寿司のお客さんでありました。
ひとみ寿司で働く声の震えたバァさんが余りにも面白いのでコントにしようと河田町から床山さんを連れて行き、同じ髪型のカツラを発注したそうです。(キヌギヌのお客さん談)
つまり、志村けんさんの演じるひとみ婆さんは、赤線時代のサロンの経営者だった訳ですね。
故人のプライバシーを暴くのはいい気分がしないのですが、お店の屋号と、志村けんさんが実名で使用なさっているところを見ると、間違いなさそうです。
在りし日の「居酒屋ひとみ」2006年閉店。
こちらは現在。少し前までパン屋のドミニクサブロンが入っていました。
赤線のネオンから大騒ぎの文化サロンへと業態を変えながらも同じ場所から時代を見守ったひとみ婆さん。ご近所だけに一度会ってみたかった、、。
所ジョージさんや、山下洋輔さん、研ナオコさんもこの店の常連だったそうです。
赤塚不二夫さんやタモリさんのグループに至っては、寿司ではなく冷やしキャベツを食べていたそう。それが寿司屋に対するギャグだったらしいんだけど、板前さんにしたら堪らないだろうな。
ともあれ、赤線廃止から派生して数百件のバーを要するゲイタウンが形成された過程や、反対に赤線時代のマダムが土地に残って飲食店を続けた逸話まで盛りだくさん。力強く生きた名もない女性たちが綴る、
秋の読書に最適な一冊。タイムマシンに乗ったような臨場感溢れる作品です。
全力でおススメ致します。